大人の女性の美

昨年、パリに絵を見に行ったのですが
そのときのことを、親しい人に話すときに
「絵」も、「街」も素晴らしかった。そしてみてきて
少し時間がたって、落ち着いて思い出すと、つまり
そうした絵であり街を作った、人間の素晴らしさを
思うのです、と、言いました


ごく最近、ロンドンで、仕事をしていた経験のある
仲良しと話していて、欧米の人からみたら、いかに
日本であり、日本人という存在は、ごくごく小さいものに
過ぎないか?という話がでました
つい、いいや、経済の視点は、置いておくとして
アートということでは、印象派の画家が、浮世絵の影響を
受けたように、存在感はあると思うよと、言って
いました


高校時代に、倉敷に修学旅行で立ち寄ったときに、例の
睡蓮について、モネが特別日本びいきで、わざわざ、交渉役の
児島虎次郎に、私が自ら、大原美術館に飾る絵を選ぼうと
申し出た、そういう話を聞いて、少なくとも「モネ」は
日本をずいぶん、意識していたんだと感じました
もっとも、原田マハの小説を読むと、オランジェリーを
作るにあたって、日本に絵を渡すのを、必ずしもよしとしない
モネもいたことが、小説のなかでは書かれています


パリに行くと、人によるかもしれないですが、印象派の絵
というのが、やはり相当な存在感があるんだと、感じます
昨年、見た絵(これは東京だけど)のなかで、マネの
フォリー・ベルジェールのバー」というのが、とても
気に入りました。都会の生まれ育ちのマネが描く、都会の
女性の憂いをおびた、表情の美しさ。
この絵からも、パリという街の魅力、そしてパリに住む
女性の美しさというのが、伝わってきて、見た人を
魅了すること、間違いないと、思うのです


都会の女性→憂い顔、なんて構図はちょっと、文章に書くと
特に単純に思えて、どうも、自分の言葉の足らなさがまた
感じられて、いやなのですが、都会に住んでいて、人々の
なかで、もまれて生きるから、ちょっと憂い顔、でも
美しい、そういう表情、瞬間が好きです
言い換えれば、のびのびとした、いつも明るいといった
少女の美しさより、大人の事情を持ってる、そうした
女性の美しさにひかれる、ともいえるかもしれません。


都会の女性の美しさ、といえば、ルノアール
田舎のダンス、都会のダンスも、心ひかれた作品です
田舎の、ルノアールの妻がモデルといわれる、女性の明るさ
都会の、シュザンヌ・ヴァラドンがモデル、の憂い顔
この対比がとても、うまく描かれてるように思えます


絵を描く、画家にしたら、描く対象の人物の生き方
内面ということも、気にしてるそういうことに
なるかもしれませんね。
そうした、連想で、つい先日東京近代美術館で
みた、鏑木清方の三部作も、まぎれもなく、都会の
女性の美しさを見事に表現してる、と思いました