小倉遊亀

小倉遊亀という、明治に生まれて
平成まで生きた、画家がいます、その画集に
自分の、生い立ち、であり、師との出会いの文章が
ありました


安田 靫彦に、弟子入りを申し出たとき
安田は、絵を描くのに、師弟ということはないです
先輩と後輩がいるということ。先輩として、いくらか
ものをいうそういうことなら、いいですよと言った
といいます


前後の文章から、この言葉のとおりの、振舞いをきっと安田は
小倉に対してしたのだろうと、想像します
とても、高い心を持った人だと、想像しました


小倉遊亀の名前は、場所とかは思い出せないですが(東京国立近代美術館?)
コーちゃんの休日という、作品で覚えました
たまたま、結構印象が深い、越路吹雪の姿をとらえていたから
というのが、その理由です


いま、美術のあれこれで、マティスという作家がとても気になってる私は
色使いに少し、似たところがあったりすると、きっとマティスのなにかが
つながってるのでは?なんて思いたくなる傾向があるのですが
この越路吹雪の絵であり、昨日、神奈川県立近代美術館でみた、「浴女」という
作品、「径」から、その色彩の明るさ、また対象へのまなざし
といったことが、マティスを想起させるのです


マティスが気になるようになったというのは
ポーラ美術館で、モネとマティスを、同時にみるという試みを
していて、とても面白くみれた、ということが大きなポイントです


モネがジベルニーというパリから、車で1時間くらい(当時なら2時間かも)
の郊外に、色とりどりに花咲く庭と、太鼓橋をもった日本風の柳のある庭園を
作り、客がくるとそれをみせ、また、家庭料理でもてなしたということは
よくしられているし、実際その場所で、その空気を吸ってきました


そして、マティスが、ニースで、ヴァンスで部屋を装飾し
その明るい光、海を眺められるところを、自分でそう、理想の空間として
作り出し、やはりお客様をもてなしたという、そういう
心の動きの一致を、見せてくれました


そうした、もてなしたい気持ち、それを空間そのもので
表現するということに多いに、共感も覚えたし、そのことによって
マティスの作品が輝きだしたのです


そうして、もとにもどると、若い(30歳前)の小倉に
絵の方向を、示して見せた、安田のもってるその空間は
小倉にとったら、まさに理想、めざすべき絵とともに、安田の人柄が
きっと、この人の指し示すものの高さが、自分のめざすところに
近いんだと、感じられたことなのではないかと、
想像します


上村松園が、その作品が高い、素晴らしい、芸術性を持ったものを
作り出す人というのは、必ず、人格も高いものだと、書いています


おそらく、仕事において、ひとつの頂点を極めたといっていい人は
その人格も高いということ、感じます


絵を描くこと
ただ、それだけ。です
だけど、ひとつの絵を描くという仕事を極めるということは
人格をも、鍛え、高いところまでもっていくということと、ほぼ同じことを
することになる、そういっていいのかもしれません


絵を描く、それも素晴らしい絵を描く人に
あこがれる
そういう気持ちを、持っていたいですね