コスモスを見て

散歩コースにしている、鶴見川のほとり。このコースは
車が入ってこないので、散歩する人にはとてもいいコースです
この道に、コスモスが植わっています。コスモスは、8月くらいには
花が見られ、いま、11月も半ばになると、ずいぶん減って、散ってるもの
も多いですが、まだ咲いてるのだと、気が付きます


花が長い、ということでは、百日紅だったり、菜の花なんかも
長いですが、それに負けないくらい、長いのだと、気が付きます


花の長さということだと、よく歌にもでてきますが
梅花は長い、桜花は短いと言います
そして、その短いこと、またぱっと散るといったこと
から、桜花を好むといったこと、特に若いときって
そうなのではないか?と、思ったりします


好きな人のエッセイに、「若いということは、いかがわしいという
要素があるものだ」とでてきて、はあ、なるほどと思ったことを
ときどき、思い出します
いいえ、自分が若さを失ったなんて、思ってるわけではありません
だけど、少なくとも、10代や20代のような、無鉄砲のような
若さは、しまい込んだなとは、思います


無鉄砲のような若さ、それは、あっていいことだと
思っています
本来、10代や20代はそうした時期なんじゃないか?
またそうした、行動をとってみるからこそ、見えてくるもの
あるのではないか?とか想像します


スポーツを想像します
テニスを続けて、ずいぶん長くなりましたが
やっぱり、10代とかからやってる人には、追いつけないって
感じがします
無鉄砲のような若さ、そうしたときに、スポーツといっしょにあった
人は、きっとそのエネルギーを、スポーツに注ぎ込んでいた
そうじゃないか?
そんなふうに、想像します


無鉄砲のような若さは、しまい込んだとして
いま、ある若さって?
そういうことを、あえて言うなら、感性を磨きながら
持ち続ける若さ、のつもり、いいえ正確にいうなら
そういう若さを持つことに、あこがれ、少しはやってる
ということになりましょうか?


なにかを好きになる感性って、このごろ、本当に大事だと
思います
アンテナ、という言い方もできるかなと思います
なにか、いいころ、素晴らしいことがあったら、それを
しっかり受け取れるアンテナ
そして、受け取れたら、愛でていきたい
そういう心でいたい。若さというか、生き方に
なっていくのかとも思いますが、ひとつの若さじゃないでしょうか?