洲之内コレクション

洲之内徹という、銀座に画廊をやっていて
エッセイを書いた人が、好きです
何度目かに読み返す、代表作というか芸術新潮への連載
「気まぐれ美術館」 少し引用してみたい


引用始 


 ところで、昨年(昭和四十九年)の暮、私がちょっと四国の宇和島
行っていて、帰ってくると、その留守へ、金子徳衛さんからの言伝てで
串田良方さんが亡くなったという報らせが届いていた。私は初めて
知ったが、金子さんは串田氏と美術学校の同級生なのであった。金子さん
のほうは、私が「絵のなかの散歩」の靉光の章で串田良方氏に言及して
いるのを読んでいて、私に報らせてくれたのである。
 私は失敗したと思った。ここ二、三年、私はたびたび新潟に出かけているが
私が行くのは主に新発田とか、村上とか、羽越線沿いの、新潟でも
北の方である。そして、いちど柏崎へ串田氏を訪ねてみようと思いながら
いつも、この次、この次と思って、機会を見送っていた。靉光の最期については
串田さんのお陰で多くのことが判明したが、しかし、判ってみて、もっと
詳しく知りたいと思うこともでてくる。それを、直接串田氏の口から
聞きたかった。しかし、それよりも、十年以上も、毎年、命日には
燈明をあげて靉光の飯盒を祭ったというその人に会ってみたかった
靉光のような画家をこんなふうに、殺したということで戦争反対をあげつらう
ことは、誰にでもできる。だが、串田氏の、この隠れた無言の行為に
私は深く心を打たれるからであった。

引用終


洲之内さんの文章の、好きなところ、ああ、とこんなふうな表現
文章を書いてみたいとか、思うところは、たくさんあるのだが
紹介しようと思ったとき、浮かんだ、文章が上記だった


靉光という、いまはかなり有名な画家(2007年に東京国立博物館
遺作展をやったそうな)の、その遺族、それを囲む人の
いいなというエピソードを、こうして取り上げてる
実際、私が絵が好き、画家の生きたあれこれが好きといってるのは
こうした、洲之内さんの絵であり、その作家へのいろんな思い
行動が、影響してるのは、「大」なのです


今年、宮城県美術館にて、洲之内コレクションを見ました
今年の当該の場所で、長谷川潾二郎の猫を、見たいと、私の奥さんが
行って、それが決め手で行くことにしたのですが
他の洲之内コレクションも、見ることができました


この長谷川潾二郎については、このブログでも書いたので
ここで、また書くのは控えます


海老原喜之助の「ポアソニエール」に再び会うことも
できました


海老原喜之助の特集を、横須賀美術館でやったときに
みて、とても好きになった絵です
洲之内の大好きな絵だったと、読みました


海老原喜之助も、靉光も作風はどんどん、変わっていく
ということがありますね
このあたり、どうも、一度気に入った絵なんてあると
作風が変わってしまうのはどうなの?なんて思う、自分がいたのですが
作風は変わっていいんじゃない?なんて思う
このごろの自分もいます


はじめて、洲之内徹のきまぐれ美術館を手に取ったときは
こんなふうに、何度も読み返す、愛読書になるとは
思ってみなかったのです
いま、読み返して、とても、いいのは、やっぱり
レベルが高いというか、いい文章にほかならないと、感じます