自己認知


「道」とつく、日本の古くからある、伝統のもの
剣道、書道、茶道・・・
こうした教えのなかに「己を知る」ということがいかに
大事かということが出てきますね


さて、己を知る。
やってみると、つくづく思うのですが、「一生かけて」
やることだなと、感じるのです


ごく最近読んだ小説に、親しくしてる人は、自分よりも
自分のことを、理解してるということがある、そういう記述が
あって、そうだなと、うなづいてる自分がいました


ここ数か月の間に起こった、悲しい出来事があります
家族ぐるみで親しくしていた、人の奥さんが虹を渡られた
ことです
2つ、思ったことがあります


ひとつめ。当該の友人は、学生のころから、相当な時間を
いっしょにすごし、ときに、助けてもらい、とても
仲のいい「仲間」として、存在した人でした
それゆえ、結婚相手をなくすという、悲しみ、自分のなかの
揺らぎ、その自分の心を占領してしまいそうな、感情の波に
負けまいという心の動きなど、ほぼ「シンクロ」して
こうだろうと、推測することができるのです


いいえ、もちろん、ご本人が感じてる、痛みそのもの
苦しさ、悲しさと、同じ、だったり近いものがわかるなんて
言うつもりはありません


例えてみれば、リアルにケガをするその痛みを、本人が感じてる
としたら、痛みそのものはわからないけど、そばで、それを
見て、どんなに痛いかというのは、理解し、想像することは
できてるといったことでしょう


ふたつめ。虹を渡っていった、奥さんの気持ちが
ちょっとは、感じられるということです
彼女とも、会って話したのは、10回じゃとても、追いつかない
ゆっくりはなしただけでも、10回、仲間といっしょにいろいろを
いれたら、その倍くらいは、いい時間を過ごしました
そんななかで、彼女が、思った私の友人への思いが
ちょっとは、想像できるのです


もちろん、それは数パーセントにすぎないかもしれない
だけど、いま、彼女だったら、こんなことを感じるのでは
ないかって想像することができる部分があるのです


ある、忘年会でした。
同じコミュニティにいる、私の別の仲間に対して
彼女は「女性の立場」「奥さんという立場」というのを
説明、いいえ、相手に「叱咤」してくれたことがありました
なんて、うれしいのでしょう
もちろん、感情をぶつけるなんてことじゃなく、いろんな
仲間との絆、信頼のうえにたっての、いい、やりとりだったと
何度も思い出す行動です


自己認知
親しくしてる、人がどんな思いだろう、どんな感情で
いま、こんなふうに感じてるのではないか
そういうことを、受け取る能力って、大事で、どうも私は
そうしたことに、自分の能力を使いたい、そういうことが
うまくなって、人を支援したいと、思うことが増えました


等伯」 安部龍太郎
この直木賞を受賞した、小説のなかで、安部は等伯
すごいところとして、自分の大切な人の痛み、心情を
自分のものとして、受け取ることができたことだと、記述します


等伯は、千利休の死にざまをみて、その苦しみを自分のものとして
もがき、苦しんだというストーリィは、読んでいて
苦しいというより、親近感を持てたのを思い出すのです


自己認知
いいえ、人の苦しみ、もちろん、やる気がでる瞬間
困ったこと、人間としての優しさがあふれるとき
こうした、そのタイミングに、なにかしたい
自分は、人が育つのを、見ているそういう存在になって
ときに、その対象者がなにかをするというとき、後押しを
したい。そう思うようになりました


ですが、自己認知として、いかにも、他人の気持ちがわかる
ように書いてみましたが、当然ながらまだまだ序の口
自分のできることの、範囲もレベルも、まだまだ入り口にいる
という認識もあります


さて、どう深めていこう
どんなふうに、自分のふところを、広げていこう・・・