楽ばかりせず、自分を肯定することから

人間は、楽をしたいと、いつも思ってるようです
ここで、楽、ばかりしていれば、どうなるのか
それは、「退化」です
私は、人と、話していろんなことを感じる
そういうことが好きです
ですが、そうした「対話」ということが下手になってる
人というのが、とても多くなってるのを、感じます
つまり、退化といっていいのではないでしょうか?


ひとつには、接客を受けていて、この人、はたして
接客をやりたいのかな、から、はじまり
私だったら、相手の立場だったら、こうはしないのに
ということが、ずいぶんあるように思います


一歩踏み込んで、なぜ?と思うと、どうも
自分自身の仕事について、まず、思いを巡らせ
なにが、自分にとっていいのか、なにが大事かという
ことを、考えたこともない、そういうことにいきあたる
ように思います


若い人と話していて、どうも、自分で自分の評価が
低い人ということが、多いことも気になります
おそらくは、相当な割合の人は、そうでなくて
自己評価ということ、高くするということが、ある局面では
大事ということを、なんとなくは知っていながら
自己評価を低いところに、留める、そういう人が
多いように思います


それは、なにか、自分でする、なにかを変えようと
やって、その可能性が低いと思ってるから、とも
思えて、とてもいやらしい、な、と、少し暗い気持ちに
なります


そうなると、若い人が、どうも自分の未来に、明るい
希望といったことを、持ててないこと。そういうことが
ずいぶん、その行動に影響を与えてると、感じます


去年、社員の何人かで読んだ、ビジネス書。
シリコンバレー式 最強の育て方」 世古詞一
には、今の時代、未来について、自分がこうしたいとか
語らせる人がいるが、これだけ、不透明かつ複雑な
世の中であって、するすると、身分の未来が語れない
それは、おおいにありうることで、それを責めるとしたら
責めるほうが、おかしいよ、と、著者は書いています


ふん、これは、それもそうだとも思える一言でした


と、認めながら、未来がうまく描けない、だから・・・と
否定的な、ことにつなげていくのでは、やっぱり
いいことない。あまりにも、生きていくのに
困ったことが多くなる


そこで、やっぱり言いたいのは、自己評価を下げない
少なくとも、低いところからはじめるくせはやめたい
自己肯定をしていきたい


未来を明るく思えない、だけど、自己肯定をする


これは、その言葉どおりなら、矛盾がある
だけど、ていねいに自分のことを、見たい
ていねいに、みれば、いいところも見えてくる
ていねいに、日本のいいところから、思うのもいいかも
しれない。


あなたは、いま、現在生きてるのです
だから、よりよい、なにかを、する、そう決めるほうが
毎日が楽しくなりますよ