開放性

わが社の研修の手法として、ワークショップを
取り入れます
ワークショップのやり方は、結構いろいろあるようです
私が採用してる、大筋のやり方は以下のようになります

1.考える

2.考えたものを、グループ間で、さらす

3.さらしたもの、だしあったものが、化学変化

4.さらに、考え、まとめる

こうした、段階をへて、なにかのテーマについて
考えを深め、気づきを得るという手法なのですね


ここで、読んでる人は、「さらす」ということと
「化学変化」といったこと、これが、よくわからないぞと
思ったかもしれません
ここでは、「さらす」ということについて、書いてみたいです


考えをさらす。言い換えれば、考えたことを、そのまま
可能な限り、言うときになにか加工したりしないで
伝えるということになるかと思うのです


伝えるときに、相手のようにより、なにか付け足してしまったり
実は自分の考えは、そんなに、気にしなくてもいいなどと
変な謙遜だったり、伝えるということに集中しないで、加工が
はいることが、よくあります。さらす、というのはそういう
ことを排除して、そのまま、だしてみようという感覚かなと
思うのです


ここで、思うに、伝えるその人の心が、どれだけ、「解放性」が
あるかということが、でてくるように思います
開放性というと、また聞きなれない言葉に聞こえたかなと
思います。言い換えれば「開いていること」。たとえば
そのなかを見たいという感覚の人には、どんどんみせている
あなたのことを知りたいという人は、来るものはこばまず、
相手をするという感じだろうと、理解しています


くだけた、話になります
お酒をふたりで飲みに行ったとき、どういう相手なら
こちらが、リラックスしてお話し、お酒を飲んで、いい
気持ちになれるのか?
このことが、つまりは、「さらすこと」「解放性があること」
と言っていいのではないでしょうか?


相手が、あけっぴろげで、自分のことを、話してくれること
相手が、こちらがそうしてほしいとき、つまりこちら側の
話も聞いてほしいだとか、あなたのことが知りたいから
これこれと質問したときに、いいよと、相手をしてくれ
質問にも、答えてくれること。はぐらかしたりしないこと


こういう、人間と人間の、基本を大事にしてることが
お酒の席でも、お互いが気持ちよく、お互いのことを
尊重しあって、存在する、そういうことになるんじゃないでしょうか


つい、お酒の席の話にしました
ごく最近、職場で飲みに行くということに書かれた文章に
触れて、むむ、なにか違うという感じがしました
その文章には、仕事が終わって、プライベートな時間に
まで、なぜ上司といっしょに、お酒を飲むのか
という言い方ではじまり、職場の人といれば、結局気を使ったり
して、ああ、職場の人といっしょじゃないほうがよかったとなる
といった、ニュアンスで書かれていました


ちょっと、違和感といったのは、人間と人間。職場にいれば
どうしても、利害であり、お互いの立場にひきずられてのいろいろを
やるでしょう。お酒を飲むといった、非日常(とも限らないのは
横におきます)になって、その人の人間そのもののなにかを
みつける、気づくというのは、実は楽しいことだと、私は思います


つまりは、お酒という「触媒」が、ある場面、いい感じで
進めばということになりますが、いろんなことを
「とっぱらって」人間と人間の、そのままのなにかを、感じやすく
するといっていいのではないでしょうか?


「さらすこと」「解放性」
これらは、実際のところ、ワークショップでなくても
とっても、大事な、生きるためのツールじゃないか?って
思います