福富太郎の眼、東京ステーションギャラリー

鏑木清方 刺青の女
この作品から、漂う、すごみというのは、どうも女性のもつ
根源的ななにか?ではないか
そういうことが、頭に浮かびました
それは、精神のどこか、ネジがはずれていくような
つまりは、狂っていくような、そういう要素というのが
あるのだと、推察されるのです


狂う姿が、「美」になってるというのは、この展覧会でも
何枚か、見られるところです

梶田半古 天宇受売命/松本華羊 殉教(伴天連お春)/鳥居言人 お夏狂乱

そして、極めつけは、秦テルヲ 妊みの祭 ではないでしょうか


狂う姿の、絵というと、記憶にあるのが
上村松園 花がたみ 同、炎、があります


どちらも、迫力を感じる、見ていると、引き込まれそうな
作品です
花がたみ、やはり、普通でない、この世でない、美しさが
伴うことを、思います


美人画を、見たい、という気持ちにさせてくれたのは
ドガであり、マネなんです
数年前、国立新美術館で、ドガ 「ピアノの前のカミュ夫人」
しばし、じいっとみてしまいました
そして、おととし、マネの「フォリー・ベルジェールのバー」
これです
ところが、その前後して、見た、上村松園と、鏑木清方
美人画だったら、日本の画家は負けていない、いいえ
むしろ、上村、鏑木のそれのほうが、気持ちを揺らしてくれました


ドガのピアノの前、マネのフォリー・ベルジェール、そして
鏑木清方の、新富町。2019年の東京国立近代美術館で、話題に
なったのは、築地明石町のほうなのですが、あえて「新富町
また、上村松園、いくつもあるのですが、新蛍、です


こうした絵の共通点は、「憂い顔」なんですね


都会に生きていて、生きにくさがある、そういう憂い顔
決して、失望してしまったとかではない。
ちょっと、ため息つきたくなる、憂い顔
この美しさ


わはは、女性の美しい顔をみるだけでは、満足しなくて
その一瞬の憂い顔の、微妙さみたいなものが、とてもいいなんて
ずいぶん、贅沢なものです


美しいゆえに、ちょっと、人間模様のなかで、感じる
息苦しさ、みたいなものでしょうか?


みどころの多い、展覧会でした
行ってよかったな。