自宅に招くこと、招かれること

あ、この人と、いい感じで理解が双方向でできてる
こういうふうに、感じて、人間関係が深まるという
経験をしたことがあります


どうしたら、そういうことができるのか?
それは、まずは「開放性」ということがあると思います
誰に対しても、いつでも、そういうことができるとなると
もうそれは、すごいのですが、ある特定の人に対して
そういうふうに、見せる、ふるまえるということが
親しくなることの、前提のように、思います


私は、いま経営してる会社の創業者である、増地夫妻と
親しくなれました。ほんとうに双方向で、信頼しあい
お互いを高めるなんてことができたと思います
それは、どうしてできたのか?
ひとつには、ご自宅に招いていただき、何度も話す機会が
あったということが、前提にあると思います


この数年、特に、先代社長増地徳則氏が、2011年に亡くなり
私の父母も、2010年代半ばに、虹に渡ってからときどき、思うこと
があります
それは、先代のご自宅に招いていただき、とてもいい感じで
お話をして、深くおつきあいをさせてもらったということは
いろんなことで、自分のいままでの人間関係を築くということの
基礎みたいな、行動を、できるようにしてもらったということが
ありそうだということです


高校の担任の先生が、卒業間近になり、みなさん(というのは
そのときのクラスの四十数名の仲間)卒業されたあと
いいときに、私の自宅を訪ねてください。ごちそうしてあげますと
言ったのです
この言葉を、素直に受け取って、仲間数人と何度も訪ねたのです
行くようになって、わかるのですが、この担任の先生の
奥様は、料理が好き、特に人を招いて食事を作るということが
相当好きだったのだと、思い当たります


これは、この10年ほど、自分でも社員を自宅に呼んで食事して
もらったりというということを、たびたびするようになって
気が付きます。あの時の高校の担任の先生のおうちの、おもてなし
料理は、相当、素晴らしかったものです


たとえば、覚えてる限り、前菜があって、ちょっとした、サラダが
あって、それからそれから、思うにボリュームたっぷりの
角煮だとか、炒め物、揚げ物と、若い人が、食べたがる
料理が次々でます。お邪魔してごちそうになって
もっと食べたいとか、足らないなんて思ったことは一度もない
そして、おいしいのです。


このお食事に招いていただくこと、音頭とるのは、常に私でした
今から思うと、なぜ、そんなふうに、ある面ずうずうしくも
続けることができたのか?
それは前提に、先代社長のご自宅にお邪魔していたということが
あったからだと、思い当たります


そうして、ご自宅にお呼ばれして、ごちそうになって、語る
ということが、お店での飲み会とは全然別の、世界が
あるということ。もちろん、親しくもなれるし、その先生
つまり招いてくれた人そのものの世界に、深くふれるということに
なり、それが、心地いいこと。そういうことを、身体で
覚えていたのでしょう


人間は、どんなことが、人生にいい影響があるのかということは
ほんとうに、ちょっとしたことから、だと言えると、この歳に
なり、気づくことがありますね


そうして、人とのご縁というのも、ほんとにそうだなと
感じるのです