客観的にものをみる

客観的にみてみる。これができることは
なにかを伝えるだとか、人といっしょに仕事をする
というときに、できてほしいこと、と、言えます


人間は主観的にものを、考えます
自分という、視点なしには、考えることはできません
ところが、人間の感じてること、受け取ったこと
というのは、限りがあるし、偏りがあるのが普通でしょう


ゆえに、なかなか、客観的にものを、見るということが
むずかしくなります


よくある例でいえば、自分のひいきのものは、やっぱり実態
以上に、よくみてしまうものです
「親ばか」という言葉もそこからきます
自分の出身の町のあれこれは、ひいきします
ひいきした、スポーツチームはかわいいものです


さて、客観的にものをみる
人間主観的にものをみてしまう、から脱却するのには
どうするのか?
すぐに思い浮かぶのは、まずは自分は(おそらくまわりの
他人も)主観的にものをみる、ということがまずはやっちゃうこと
として、認識するということ、と、思います


真剣に話し合いをする、ということも、いいトレーニン
だと、思います
真剣に話し合って、なにかを、決めるとしましょう
社内でよくやる話。ある会議をするときの分科会の
分け方。
こうしたことは、どういうやりかたをしても一長一短ということが
多いのですが、自分の意見を決めて、主張してみます
(真剣にやらないとだめです)


そうして、真剣にちがう意見の根拠といったことも
考えてみます
こうした、話し合いをすると、そもそも・・・と話が
はじまった、端緒といったことを、みつめて、なぜ
こうしたことを、してるのか?ということを、みつめながら
話すって大事だと思います


人間は多様な考えをもつものです
育った環境、親の影響、そして、友達、先生。
そうした、影響ってあるものです
できれば、まわりにいる人のいいところを、いい感じで
影響されて、育つというのが、いい育ち方です
それは、できるんですよ
自分を大きく育てよう、そういう心意気があれば、できることです


客観的にものをみる
そうした、ひとつうえの、ポジションでものを考える
ということに、なれてくると、そもそも、どういうことをしようか
そういう、方向付けということも、いい方向がみえてくる
そう信じています