上村松園 「詠哥」
公家の女性をイメージし、短冊をもち、うたを読もうと
いうところ。その表情は、少し固いともいえる
知的なのです
「春芳」
上村松園のほんとにお気に入りの色であろう、縹色の着物
藤の柄。これも定番のここでは梅を見る、斜めの視線
瞳が、なにかをとらえて、すっとみている。それを一瞬の
ポーズとして、きりとっている
女性の美しさは、それは見ている人の数あっていいとも
思いますが、上村松園がきりとった、美のシーンは
おそらくは、どんな画家も、それはルネッサンスの天才だろうが
印象派の巨匠だろうが、しっとさせるといっていい(これは
私の奥さんの言い方)そういう世界があるのでは、と
思わせてくれる、美人画たち
ここまで書いてきて、画家というのは、その一瞬を永遠に
していく、行為をしてるともいえると、気が付きます
あるポーズがすごく、美しい。立ち姿が美しい。その瞳の
方向をたどる、そうした、顔の表情がなんともいえない
だけど、現実にはそれは一瞬のこと。絵に描くということで
実際、その一瞬をきりとって、みせてくれてるのだ
山種美術館。「上村松園、松篁 美人画と花鳥画の世界」
この展覧会にて、小倉遊亀 「涼」という
先斗町の茶屋?のおかみだという、女性を描いたものが
ありました
おそらくは、人生の喜怒哀楽をみつづけ、生き抜いた人の
もつ、味わい深さ、やわらかな表情。絵を相対していて
この人がしゃべりだす、そういう錯覚が起こります
「人」を描くというのは、むずかしくて、でもなんて、すごいのだ
と思わせてくれる、展覧会でした
絵をみる楽しみというのは、私がよくやってしまう
絵そのもの、から、その描いた画家の人生だったり、画家の生き方
そして、まわりの人とのかかわり方の素晴らしさです
そこに着目して、そうしたすごい人の絵だと思ってながめてる
だけど、絵そのものの、ちょっとした、ことでも、たとえば
絵そのものといっていい、「線」だったり「色」だったり
そうしたものを、じっとみる楽しみも、だんだん近づいてこれた
そんな気持ちがして、うれしいです
数年前に東京国立近代美術館に、上村松園の展示をみました
おそらく、数点は今日みた、絵が重なっていたと思うのですが
そのとき、一番、印象にのこってるのは、「焔」だったと
思います。源氏物語の生霊ですね
こうした、迫力におされている自分というのも、ひとつの感性には
ちがいないのですが、今回みて、思ってる上村松園の魅力が
自分のなかでは、より、詳細をみれていると思えて
うれしくなります
いいえ、上村松園が解説してるところの、例えば、眉、一本多く描くか
どうかで、その顔全体の印象が変わる、とのそうした、微妙さに
近づけているのかとなると、いいえ、まだまだなのですが
上村松園の芸術には、少なくとも一歩近づいたそんな気持ちで
いい気になっております