記憶

「君がいないと、小説が書けない」 白石一文


この作品のなかで、作者は記憶ということが、そのまま
ずばり、生きていて、存在してるとも、言えると書きます
記憶ということが、とても気になりだしました


歳をとると、同じ話を繰り返すといいます
だれもが、覚えがあること。年配者が同じ話をしてるな・・・
これ、自分も少しわかるようになっていっています
つまり、過去のことを、回想するということが、うれしいのです
自分の感覚では、回想するということ、実は全く同じことを
思い出してるだけ、ではないのです


今、自分が生きてるそのときの、なにかしらと、つなげている
そういうことが多いと思います


最近感じてること。上村松園鏑木清方といった、美人画
とても見ていて、楽しくなっています
上村松園の、描く、その美人画の着物、髪型、表情に
ああ、と、心が動きます
鏑木清方、季節であり、市井の人の、生きた、その生活感が
あふれる、絵。
そういうなかに、美人もいたということですかね


こんなふうに、和装の女性の美しさというのを
やっと、感じている自分。ふと思い出すと、母も祖母も
和装には、こだわっていたように、思うのです
女性が、和装より洋装が、メインになったのは、実はそんなに
大昔のことではないんですね。
思い出すと、自分が小学生のころは、特に冬、和装の女性は
相当いました。もちろん、若い人のファッションは、洋装に
なっていたでしょうけど。


日本、日本人のなにかにこだわりたい
そう思うようになって、どのくらいたつでしょうか
日本のよさを知ってこそ、自分を知るということもできると
感じます
感覚的な、自分の感性を信じていたいとも思うのと同時に
なぜ、自分はこの対象物だったり、形、色といったことを
好むのかということを、知っておこうと思います


そういう風に思うと、やっぱり「記憶」ということは
大きく、自分のなにかを、支配してるということが、思い当たります


上村松園の「蛍」と、鏑木清方の「新富町
並べて、比べるとしましょう
どちらも、最近また見て、いいなと思った絵です
蛍、新富町、それぞれの女性の表情を、いま頭のなかで
思い浮かべたとき、その共通点と違いを、思います


二人とも、ありあり、いきいき、生きてるのです
そして、生きてるからこそ、表情は単純じゃない
生きてるその、重さだったり、その人がもってる責任?
自分をゆったり、保とうともしてるような、そんな感じ?


単純じゃない、生きてることが、伝わってくる感じが
するのです
おそらくは、自分の記憶のどこかと、つなげているのですね


今日のブログにて、回想するときが、うれしいのは
生きててよかった、となるときだと、思い当たります
そういうことが、繰り返されること。それを望んでいます