コミュニティの話

社員旅行で使わせてもらった、新潟、南魚沼の宿、越路の
おかあさんは、いまは、このあたり、農家といっても
集まって、仕事するってことはなくなっていますと
話してくれました


好きな漫画の、クッキングパパでは、新聞記者で、主人公の
奥さんの虹子さんが、九州のとある、離島にいって、みそ作りを
取材するというシーンがあります
こうした、みそ作りだったり、なにかしらの共同作業は
冬を越すためだったり、言ってみれば生きていくのに
必ず必要なことだったに、ちがいないのですが、物流の
発達だったり、電化製品の普及等、その必要性は薄れていった
のでしょう


今年の冬に、大好きな信州、野沢温泉にて、降りしきる雪を
みていて、感じたこと
こうした、雪というのも、人と人をつなぐものだったと
思うのです。ひとりで雪かきはやりきるのはしんどい
ものですね。それから、来客があって、あまりに雪が
ひどければ、泊まっていったりということに、自然になった
ということがあるのでしょう


だから、時間をかけて、人と人がつながるということが
いまより、もっとあった。人と人があって、いっしょに
なにかするということは、大事なことですが、ここ数十年で
いかにそういう機会を、なくしているか?


コミュニティのつながりが、減っていくということは
そこで、育つ子供が孤立してるということに、なりますね
子どもが育っていく、そういうもと、基盤になる、人と人の
つながりが、きわめて、薄くなってしまうのです


マンションに住んで、ずいぶん経ちます。同じフロアだったら
まだしも、ちがうフロアの人は、顔と名前が一致しない人が
たくさんいます
当然のことながら、子供にしてもそうです
いっしょに住んでるといっていい、その状態なのに、その社会的
弱者だったりする、子供の顔がわからない。知る機会も
ないのです。


ちょっとまえに、子供食堂の話を、本で読みました
子ども食堂は、全国でふえているとのこと
そして、子供食堂は、お互いを知る場になっている
情報をもらう場になっているということでした


ちょっと素敵な話だなと思いました。今は情報があふれてると
いいますが、「〇〇を調べよう」という、意識があって、やれば
できることはふえますが、自分がなにか困ってることが、どこに
むかって、情報をとりにいくかということも、認識できなければ
情報はとれません。いいえ、上に書いたような、コミュニティが
機能していないということは、まえより、情報はとれなくなってると
みてもいいのではないでしょうか


こうした、身の回りのことで、漠然とした、不安を感じる
都会に生きてる人は多いのだと思うのですが、なにかした、こうした
実際、顔と顔がつながっていく、ということへのやり方をみつけるのは

以外に難しいとも、思っています