信州の風景

東山魁夷が、ある人と話していての一コマ。
ある人が、電線が風景の邪魔をして、残念ですというような
話をしたら、東山魁夷は、それは「目休め」といって
電線をみないで、風景をみるようにするのですよと、話したということを
読みました


その言葉通りのことをしてるんだなと、わかるのが、京洛四季という
連作があって、そのなかでの「歳暮る」という作品のことです
京都のたぶん建物の上から(いまはそれらしき場所はホテルだそうです)
東山、鴨川の向こうの街並みを描いています
これが描かれたのは、昭和30年代で、もう相当、京都も都市化が
すすんでいて、もちろんいまより「町家」と呼ばれる、日本家屋は
それなりに多かったでしょうが、この歳暮るに描かれてるような
隣からとなり、ずっといい感じの日本家屋ということは
もうなくなっていたはずと、推測します


そういうなかで、日本家屋の美しさを描き、そのなかのいくつかには
ほのかに、明かりがともり、人々の暮らしがあるのを思わせる
そのような、絵ですね


東山魁夷は、自分のことを、風景画家と呼びます
その風景のなかには、人はほとんど、でてこない。いいえ、人が
いたという、痕跡というか、今住んでるだろうなということは
見せながら、人の姿というのは描かない


東山魁夷の言うところの、「目休め」ということができたら
ほんとに、美しいものというのを、感じやすくなるのかなと
思ったりします


昨年、信州、大町の山側。中山高原と呼ばれるそれは、山の景色が
見事な、場所に行きました。素晴らしいのは、山そのものが
美しいということがあるのですが、その山をみる、ひとつの方向の
構図といっていいなかに、人工物が入らないのです


東山魁夷の、歳暮る、もそうなのですが、いかに、とくにマンションだったり
ビルだったりという、人工物が、景観を損なうもとかという
ことがわかります


信州は、まだまだ、山の景色が楽しめるところといっていいと
思います。中山高原はその山側といっていいでしょう
安曇野という、広くて平らな、複合扇状地。これは松本平という
場所に含まれるといっていいでしょう。そのほかに、善光寺
佐久平、伊那平といった、山のなかなのに、広くて平らな場所が
いくつも、ひろがります


人が生活していくのに、家ができ、必要な建物がコンクリート
作られるのは、生きていくのに必要なのだから、それはそれで
しょうがないとも言えます。旅行者である自分は、風景を
見に行ってるという立場でついつい、ものを、言いがちです


今回、夏川草介の「はじまりの木」の文章のなかに出てくる
伊那谷の大柊というのを、みてみたくて、ぐぐってでかけて
みました
確かに、室町時代から、生き続けているという木はありました
だけど、小説に書かれてるような、空をおおうような勢いも
高さもなかった。まして、そこは住宅地になっていて、夏川の
描いてるところの、雰囲気も、風景も望めめない
そして、逆に夏川がこれをみて、あとはフィクションで
あの文章を書いたのだとしたら、小説家としての、想像力であり
構成力に、すごいなと、思った、時間でした