ドビュッシー

昨日、ちょこちょこ会う人と話していて
ドビュッシーが好きということが、ポンとでて、その人に
親近感を覚えました


ドビュッシー、かなり、印象的な曲を書いた、作曲家と
いっていいと思います。いいえ、クラシックといっていい
ジャンルで、名前を残したような、「天才」とも言われる
人たちは、それぞれ、印象的な曲を私たちに残してくれた
といっていいのでしょうけど、そういうなかでも、ドビュッシー
世界は、ひと際、色彩が鮮やかと言いたくなるような
感じがします


ドビュッシーの話を聞いて、そのドビュッシーが好きといった
人に、佐藤忠良の話をしました


それは、自分が彫刻を見るのがすきとなり、そのなかでも
佐藤忠良の彫刻がとても気に入っていた話。また
佐藤忠良の、教えを受けたという人が、いて、その人と
とても、近しい感覚をもてたという話です


この佐藤忠良が、なんというか、触媒というか、くっつける
ひとつのなにかになって、人と仲良くなったというのは
このブログで2,3回書いたと思うので、くりかえしません
このあたりは、実は、民藝ということを、広めていった
柳宗悦だったり、河井寛次郎、の存在、このふたりの出会い
といったことに、ちょっと似てるなんて、自画自賛
しながら、大好きなエピソードになっています


ドビュッシーの世界は、静か、で、心が安らぐといっていい
そういう世界だと、感じています。ドビュッシーをピアノで
奏でるといった、一番最初にだした、知り合いの、その音を
ぜひ、聞きたくなりました


楽器をさわらなくなって、ずいぶんたちます
楽器というのは、とてもいい、楽しみになるのを知っていながら
やっぱり、マンションじゃね、なんていいながら
さわらない日が続いています


ピアノを弾くといった、彼の顔が、いつもより、うれしそうで
ピアノ弾く楽しみをもってるという、そのことが、ちょっと
うらやましくなりました


駅ピアノ、というのが、ずいぶんあると、聞きました
横浜だと、関内駅のすぐ近く、マリナード地下街にあって
たまたまつい、数日前通りかかったとき、演奏していた
人がいました


おそらく、ピアノのテクニックとしては、高くはない。だけど
楽しみながら、奏でている姿が、なんというか、ほっこりしました


楽器を演奏するというのは、誰かになにかを聞かせるなんて
こともあるでしょうが、やっぱり、ほっこりするのが、一番なのかなと
思ったりします


ドビュッシーの話は、人と話していて、その話が、はずむひとつの話題が
やっぱり「文化」に関わることだと、再認識することになりました
つい、忘れてしまう、つまりビジネスの話をしていたりすると
そうした、文化の香りというのを、忘れてしまうな、と、感じたのです