なつかしいこと

江ノ電箱根登山鉄道
これらを、見たり乗ったりすると、なんとも
なつかしい、気持ちになります


スピードが速いこと、ということは、いまも価値に
違いないのでしょうが、このゆっくり走る電車が
こんなに、なつかしいのは、なぜなのか


「なつかしい」という言葉で、連想するのは、高校時代だったり
のクラス会で、会う、仲間ということになりますね
なつかしい、古い友に会うというのは、代えがたい心の栄養
になる、感じがします
と、こう書いて、電車というのも、なつかしい友といっていい
感じがしてきました


人間は、感情に従って生きてるということを、読んだことが
あります。ここ、ある部分では、感情に支配されるとも
思います。自分が快いと感じる、感情に従いなにかを
するということを、よし、としてるように、思うのです
自分が不快を感じてしまうものを、遠ざける。これも
素直なこととも、思います


プライベートな時間において、自分の行動をどうする
というのは、ある程度、感情に従ってもいいとも思います
ビジネスだったり、何かしら、オフィシャルな、つまり
誰か他人に、影響するなにか、であれば、感情だけ、というのは
やっぱり、いかがなものか、ということもあります
一定の俯瞰した、視点であり、それにつながって、客観視してる
態度がないと、まずいでしょうね


いま、自分は50代も最後になってきて、なつかしい、という
感情がとても、快いのは、健全といってもいいかもしれません
一方で、そうした感情に、まだふれるのが、多くないというか
それでいいとならない、世代と、なにか共有するとき、なつかしさ
ばかり、おいかけるのも、どうなのか?とも、ちょっと
思います


自分が快いという感情
相手を喜ばせたいという、気持ちがひとつ、浮かびます
おいしいものを、食べる。このこと、だけでも、喜ばせるという
ことは、できる、とは思います
ですが、今、どこでも、おなかを膨らませるだけの食料は
手に入りますから、果たして、味にこだわって、なにか
したときに、伝わるかちょっと、心配です


自分が快いという感情
「美」ですね。画家が、美しい風景だったり、なにかしら
美しい対象を表現して、それで、その美しさに気づくということが
あって、それはいいこと、と、思うようになりました
風景を愛でるということ。実際大事でしょう
人、人物をみて、いいというのも、あっていいとも思います


人は、自分自身のことを、なかなか、客観視できなかったり
するものです。そういうとき、人と協力したりしてなにか
やろうというのなら、客観視へのトレーニングはしていきたい
と、思うのです