営業するということ

営業するというのは、自分と向き合わないと、できない
ということが、あると、考えます
今の自分、会社に所属してるとしたら、会社のなかでなにを
期待され、どういう、成績を残すことが求められているか
それは、仮の姿でもなんでもなく、今の自分のすべてをかけて
やるという覚悟をもって、つまり退路をたって、自分がやると
決めなければ、こんなもんでいいか、成績もごまかせばいいか
となっていくのは、「人間が楽なほうへ行きたい」と思う動物で
ある以上、そうなのだと、考えます


やらないで、すむなら、そうしたい。営業で成績を残す
というのは、しんどそうだ、だから、できるだけ、ごまかしたい
こういう気持ちが、心のどこかで、ひろがっていると、そういう
誘惑に負けてしまうものです


はたして、こうした、営業の最初の壁(あくまで、これは最初でしょうね)
を超えられない人に、どんなアシストをすればいいのか?


「放っておく」
ということが、ひとつ、浮かびます
それは、覚悟といったことは、やっぱり人に言われて、できるとは
思えないのです。
これは、なにも、営業だけとは、限りません。管理的な仕事をする
技術的な仕事をする、はたまた、対人援助といった立場で仕事をする
どういう仕事においても(いまあげたなかに、どこかつながってるのが
仕事と定義していいのではと思います)自分がやる、自分の存在をかけて
やるという、覚悟がある仕事。これが仕事の定義に入ると
思っています


「なにかのきっかけをさがす」
これも、いつもいっしょには、できないものです
ただ、くりかえし、話を聞いて、あるべき姿をさがしてるのなら
それは正しい、道、そうでないとすれば、軌道修正が必要と
コメントだすくらいは、したほうがいいと思ったりします


スポーツのコーチの役割を思います
コーチは、なにが正しいのか、そのコーチしてる対象に伝える
という役割があると思っています。テニスのサーブでの身体の使い方
それが正しいのだ、と、伝えることで、今自分がやったことは
正しいとわかる


もうひとつは、「慣れる」ということも大事なこと
ということが、浮かんできます
「習慣化」というのは、大きな人間の武器といってもいい
こととも思うのです。営業やるのに、必要なことを習慣化する
ことで、たとえば、知識だったり、例えば、営業で感じてる気持ち
といったものが、自分のまわりにふえてきます
ときには、自分は営業マンだぞと、演じてみるということも
その気持ちに近づくのに、大事なこと、とも思います


こうして、どうしてその覚悟をもつかといったことを、記述
していると、学ぶことと、似てるんだなと、気づきます


学ぶということが、楽しいと気づけば、どんどん学ぶのですが
それ「勉強だな」とか「強いられてやる」となっていると
なかなか、学びも進まないものです
そこで、まわりはどうするのか
「手を出しすぎない」つまり放っておくということ
これも大事です「こやしは離れたところにまけ」というのも
似てる意味とみます
「コーチがいること」「演じてみる、つまり『ふりをする』こと」
こうしたことの積み重ねが、よりいい学びになっていく
ということを、感じています


人間が一つの仕事を、楽しめるようになるというのは
それなりに、いくつかの「壁」を超えるということが、あるのでしょうね