猪熊弦一郎

猪熊弦一郎の展覧会を、横須賀美術館にて、見ます
時系列で、猪熊の足跡をたどるように、作品をみていきます
婦人像をみて、その視線が、気になりました
思い出したのは、上村松園美人画


上村松園美人画は、微妙な表情があって、気になります
実際のところ、もう何年もまえから、上村松園の作品は
見ていた、のですが、この1,2年くらい、その微妙な表情
ということに、(やっと)気づけたみたいに、自分で思っています


表情がない、とも見える、きりりとしたなかに、たとえば、
「決意」「ほわんとした、リラックス」「憂い」などが
あるのでは、と、思わせてくれる、上村松園美人画
みていて、すっと引き込まれるものがあります
婦人像 1926はそうした、表情が微妙にみえる、女性


30代になって、フランスに留学し、マティスから
「君は絵がうますぎる」といわれて、衝撃をうけたという
猪熊弦一郎。君は絵がうますぎる、そのあたりで、
おそらくは、マティスの影響もみられるように、思います


私の拙い言葉では、とても、マティスの絵のすばらしさを
語れませんが、挑戦するとすれば、南フランスの明るい、まぶしさを
表現し、そのまぶしいのだけど、どこか、人をなごませ、人を
楽しませる、といったらいいか?明るい色が、みているこちらの
気持ちも明るくさせる、そんな要素といったらいいでしょうか


1949 青い服、1950 妻と赤い服
このあたりは、色彩に目覚めたといっていい、猪熊の気持ちが
でてるように、思いました


だいぶ、ラフな書き方になります。というか、そのくらいしか
いまの私の感性では、猪熊のよさがとらえきれてないとも
いえそうです。そうした、マティスをはじめとした、海外からの
エネルギーにみちた、なにかをとらえて、猪熊は、抽象画の
世界にはいっていくのではないでしょうか


猪熊は、いろんなことから、自由になり、本人の言葉で
いえば、「具象がごそっと、ぬけおちた」という感覚


その時代のアーティストが、抽象に向かっていたということも
あるのでしょうし、抽象画という、なんでしょう、新しいなにかに
挑戦したいというのも、あるのでしょうか?


猪熊ワールドといっていい、広く、自由で明るい世界に
ふれて、こんなふうに「まとめていく」ような物言いはほんとは
まだまだ、したくないと思っていますが
それを、知っていて、あえていえば、猪熊弦一郎は、抽象の世界の
扉を自らあけて、はいっていった、それがとても、潔く
いい挑戦に思えてきます


アーティストとの交流が多かったというのも、猪熊のことを
理解していく、ひとつのキーポイントのように思います
人間は、人間と接することにより、成長するということが
アーティストにもあてはまるとも、思うのです
アートは、ひとりで、孤独にやるというイメージも
ありますが、もちろん、そうした時間も必要でしょうが
ときに、やりとりのできる、アーティストとがちゃがちゃ、やって
そこから、頭がシャッフルして、また世界を開いていく
そういうことがあっていいのではないでしょうか


少し、猪熊弦一郎の前知識をもって、今回の展覧会をみたら
事前の期待がものすごく、膨らんで、それはそれでいいのですが
もっと、知りたい、猪熊ワールド・・・となりそうです