月見

月が地球の影に隠れるという、月食をみて
その欠けていく早さに驚きました
11月8日、昨日の午後、6時9分から部分食がはじまり
7時16分からは、皆既月食となりました
67分、これ、実際昨日みると早い、という感覚。たった
15分進むと、月の形はかなり変わってしまう・・・


月を愛でるというのは、いい時間ですね
このごろ、「時間の過ごし方」にちょっと興味がわきます
どうやら、ぼくら、IT業界では、事務効率化みたいなことが
目的にはいっていて、いかに早く処理するかというのは
価値ですみたいな、ことを、言われるし、自分でもいったり
しますね


ですが、人間の気持ちは、早く処理するということ、相反して
いい時間があて、気持ちがなごむということが、あるのだと
最近、認識するのです


月見といって、思い出すのは、祖母が作ってくれた、お月見の
「膳」ということでしょうか
メインは、おだんごですね。お月見におだんごは欠かせません


日本人は、「雪月花」といって、古くから、月を愛でる
そういう、風流な感覚をもっていたと、思います
昨日の月見は、ほんとに、空気が澄んでるなかで、行われた
ショーといっていい。


京都の、大河内山荘という、嵯峨野にある、庭園に
月見台と呼ばれる、建物があって、京都の街が
一望のもと、ここで、月を愛でたら、さぞ素晴らしいと
想像するところがありました
銀閣寺だったり、大覚寺にも、月のための工夫が
随所にあって、素敵だなと、話は聞きました
今、例にあげた、どこも、月の時間に、そこで過ごす
ということが、できてないのですけどね


前に、テレビ番組の解説ですが、銀閣寺は、月を眺めるのに
いい場所を作るための建物があると、聞いて、そのぜいたくさに
ちょっと、ため息がでる、思いがしました


上記に書いた、時間をかけることはいいこと、といった
自分の言葉に相反するのですが、月見のために、建物を
工夫するとなると、なかなか、です。もちろん、素晴らしいとも
言えますが・・・


「感性」ということが気になりだして、だいぶたちました
おそらくもうすぐ、10年くらいだと思います
感性というのは、「何かを好きになる能力」といっていいと
前にこのブログに書きました。今日、感じるのは、感性というのは
自分なりの、価値をみつけだせる、そうした能力といっていいかな
ということ。建物を建てるとなったら、ずいぶん、ぜいたくですが
なにかのために、時間と少しはお金もかける。それでも価値と
して認めるという、感覚と言っていいかなと思います


月、月見を価値として、認めて、そのために、時間を使う
これは、私はとてもいい、価値として、受け取っておきたい
また、そんなふうに思わせてくれる、美しい夜でした