グラデーション

12月7日、今朝の夜明け間近の空は、美しい
グラデーションです


グラデーションという言葉、こうした、「美」
ということに使う、という他に、メンタルのなにか
というときに、使っている、自分がいます


たとえば、メンタルでなにかしら、診断があって、不調だね
という人と、そういうことは(少なくとも表立っては)なくて
健康な状態と言われてる人。境目は、ぱちんとあるわけでは
なくて、グラデーションなのだろうということ、数年前に
気づいて、気にしてます


少なくとも、こうした気づきをもてる、しなやかさを
持っていたいと、思います。つまり、メンタルの不調のなにかを
自分とちがうもの、というように、分けて、遠くの存在
として、扱うのではなく、自分のなかにも、そうした要素は
あると、感じながら振舞いを決めたいと思います


IT業界は、平均の値からみて、メンタルで不調になる人の
割合が、3倍ともいわれています
そのひとつの、要因といっていいのが、責任の見え方かな
と、最近、気が付きました。責任の見え方といったのは
企業に所属していて、持つべき責任というのは、範囲が
限定されてると、認識します。一定の決裁を行う立場は
もちろん、その責任は重くなりますが、担当者だったら
担当者としての、責任に限定されるという、考えが一般的
と思います


ですが、ITというか専門知識と、それを使うノウハウで
仕事する人はそうだと、思うのですが、少なくとも
ある時間の中で、その人しか知りえない、なにかしら
というのを、握っているそういう時が発生します


そうしたとき、どうするか?
つまり、リアルタイムで上司なりは知らない、例えば
危険な、たとえば、モラルとして、まずいという状況を
知ってしまうということがあるでしょう


ここで、教科書的には、「ホイッスルブローイング」
だろうということがあります
ただ、こうしたこと、決断できるのは、かなりの勇気と
ときには、組織のあれこれを、断ち切るということがあると
知っててやるなら、なおさら、そうしたリスクをとる
覚悟があって、できることとなってしまいそうです


危険や、モラルの程度も、いろいろあると思います
もちろん、だれにもわかりやすい、人の命に関わる
それも、緊急に関わるのなら、わかりやすい
ですが、どうでしょう?専門家でも意見がわかれるような
そういう、事象ってあるのだし、それこそ、専門分野で
これは?リスク?かとかなってることもあるでしょう


責任ということ。必要な報告をしているのかということ
そうしたことを、一時握るということも、どきどきのときが
あるといっていいのでは、ないでしょうか


先日、ごく親しい友人と、SNSで連絡をとっていて
実際そのとき、複数のSNSでいろいろだったのですが
その友人とは、複数でつながってることを、忘れて、一方の
SNSでリアルタイムにこちらの行動を知ってるのを、あれ?
どうして?なんて、自分でやってるとんちんかんを、
やらかしました
なんてことはない、先に書き込んだ、SNSをみて、あ、ここ
行ったんだねと、向こうはつぶやいた、だけなのにという
笑い話


個人のちょっとした、行動なら笑い話ですが、うっかり
なにかのセキュリティなどとなれば、もう大ごとですね
やれやれ、厄介なことです