アートから、エネルギーをもらう

新潟、高田の地に高田城があり、その城内の敷地に
小林古径の、自宅と、アトリエが移築されていた
その特に、自宅のほうで、時間をゆったりを感じながら
ぼーっとする時間を、2022年の夏休みに持てました


小林古径は、梶田半古の画塾において、奥村土牛の兄弟子
途中からは、塾頭として指導してもらったということで
名前を知る、画家でした
その小林の絵にふれて、自宅の佇まいにふれて、もっと
そのアートを知りたくなりました
こうした、広がりは結構楽しいのです


吉田五十八という建築家が建てたという、小林古径の自宅は
美しいです。解説を読むと、小林は吉田に、自分が
気に入るように家を建ててくれと、依頼し、吉田はそれに
応えるべく、小林のアートをみてまわり、いわば小林の
アートへの思いを受け取って、それを自宅建築という
なかで、表現したということらしいのです


私がみて、受けた印象は「木の美しさ」「使いやすさを
優先するなかで、気品が生まれる」といった感覚を
最大限生かしたといっていいのではないかということ
です


家にいると、すごく居心地がいいと感じるのです
無駄や、無理といったことがない、ここに人がいれば
なお一層、その家の良さが光るのだろうと推測しました


画家、特に自宅、自宅近くで、製作するとなれば、その
住み心地というのは、作品にそのままでるといっても
いいかもしれません
そういう家に、大好きな奥村土牛も通い、土牛は小林を
生涯の師として、慕い、本当に生き方そのものをもって
小林を追い続けたといっていいのだろうと、推測します


奥村土牛が自らの半生を書き綴った「牛のあゆみ」という
本があり、その解説を、河北倫明先生が、書き綴ります
少し引用します

(前略)

 大森の小林古径師の画室に住み込んで、その清純な感化を
吸収した土牛青年が、師によって日本画や東洋古典の高い
精神的境地に導かれると同時に、幾多の参考書をあてがって
もらい、中で特にセザンヌに心惹かれ、セザンヌのものなら
何でもというほどに打ち込んだことは知られている。私は
この事実の中に、土牛画伯の中に本能的にセザンヌと共鳴する
何者かが自然に躍動していた事態を想像する。それは、近代絵画の
教科書にあるような、立体派の始祖、あるいは抽象画の出発点
としての、セザンヌといったものではなく、むしろもっと素直な
セザンヌそのものである。自然を実在的、原則的に純化して見る
と同時に、その深く澄んだ精神的統一までを感得するような
美神経、そのような形と心の両面において、土牛青年はセザンヌ芸術
の高い波長に惚れ込んだと私は解するのである。

(後略)

この文章のあとにでてくる「日本画伝統とセザンヌ芸術の融合昇華」
に土牛さんは挑戦し続けた・・・という話を、そんなむつかしいと
思わないで、たとえば、「鳴門」の淡く見えながら深い色合いに
富士の絵の立体感に、そうなんだと、感じようとする、自分が
います


奥村土牛が好きになって、その画題となった場所に足を
運び、ほんのちょっとだけでも、土牛の気持ちに近づけたような
そんな楽しみを知ってる自分は、少し誇らしく、アートの
高さ、土牛の挑戦のすばらしさを感じれてるぞと、思うのでした


新年、おめでとうございます
今年、去年、いいえもっとまえから続けて、休日にでかけて
みかける「アート」そのもの、そしてアーティストの生き方に
元気をもらい、その何分の一でも、生き方で近づきたいと思って
これからの自分のあゆみの、はげみとしていきたいと、思っています