ワークショップ

つながるってことは、双方向で、継続的なことと
そういう、言葉の分解をみて、そうそう、そうなんだって
つぶやいてる、自分がいます


会議だとか、研修だとかの前に「アイスブレイク」
という時間を持ちます。ある一つのキーワードについて
分解してみる、ということが、アイスブレイクのお気に入りの
ひとつです


アイスブレイク自身もそうなのですが、人が集まって、なにか
「学び」だったり「体験」、また「再発見」といったことを
めざすこと、ワークショップの手法というのを、よく使います


ワークショップ、これ、前に新聞の記事だったと思います
誰だったかも忘れましたが、「ワーク」と「ショップ」
という分け方をすると、やっていました
ワーク:何か考えたり、調べる、といった、仕事をする
ショップ:お店にいるとして、その店員と客になってみる
この「お店」というのは、何かしらの専門店ということを
指すとのこと。八百屋だったり、魚屋も入るかもしれません
客は、自分が欲しいこれこれを、説明する、お店の人は
自分が知ってる、モノの種類、今の仕入れの様子などを
展開する。双方が努力して、ほしいものをだす、提供する
ということを、するというのですね


本来の語源の、ワークショップは違うかもしれないですが
とても、「いい定義」として、頭に残りました


ワークショップは、まずは「積極的な姿勢」
そして、お互いが考えたこと、思ってることなどを、だしあって
そこから、化学変化が起こることを、楽しむということで
学び、体験、再発見を目指すと言っていいと思っています


専門店であーでもない、こーでもない、これかなとかやりながら
欲しいものを、探すというのは、化学変化につながると
言っていいことと、想像します


ワークショップの言葉自体、学生のときに、聞いたことを
覚えています。参加するにあたって、ほしいところ、また
化学変化のための、ほしい要素といっていいこと
それは「開いてること」というように、説明されたことを
思い出します


カウンセリングとかの手法にも、つながることなのですが
相対してる人と、開いていて、つながっていくことというのが
大事です


開いていること。それは言葉の感じのとおり、開いていて
例えば、相対してる人のなにかを、受け入れる、聞き入れる
相手にしたら、入っていける感覚でしょう


かつての日本人は、開いているというのが、普通といっていい
暮らし方をしたんだと、想像しています
そういうこと、実際の今の日常では「記憶のなかにある」といったこと
日常とは言えない、ある区切られて、条件がそろっていて
開いている態度で、いられるといったことになりそうです


そう、日常で開いているということが、なかなかできないので
ワークショップなるものを、使って、開いてる状態というのを
作り出すということにも、つながっていくと、感じます


「つながる」「開いている」どちらも、人と人がなにかするときに
大事なキーワードです
そうなのですが、今の日本人、つながっていなくて、閉じられてると
感じませんか?