オリンピックを見る

オリンピックをみていると
勝負をわけるのは、ほんのちょっとした差なんだと
みえます。記録をだす、ということ0.1秒だとか
いいけ0.0X秒だったりとか、ほんのまばたきも間に合わない
差だとみえてきます


実際のところ、ビジネスにおいても、プライベートでの
充実したなにかというのも、ちょっとしたことから
変わるということが、あるのではないかと、感じます


このブログ、ウォーキングの時間のあとにいつも書いています
ウォーキングする前と後では、自分の気持ちの具合が
ちょっと上向いています。ちょっとの差かもしれません
だけど、自分にとっては、朝、このちょっと上向きになる
というのは、とてもいいと思える、ちょっとのことです


スポーツをするというのは、身体との対話という
感覚があります。練習してできなかったことができるように
なるのは、単純にうれしいことです


人間、生きてる以上、できればちょっとは、充実感を感じられる
自分の存在が、いいものとして感じられる、そういう時間がほしいと
思います


先週、社員が集まって会議がありました
そのなかで、他人から信頼されることをめざそうと言いました
他人から信頼されるには、どうするか?
相手に伝わる、報告、そして相手から発信されることをしっかりキャッチ
できること。ここが大本だと感じます


最近読んだ本にて、人間て自分の都合のいいように
相手の話を受け取る(ときにはスルーする)ってことを
覚えていたほうがいいですね


だからちょっとでも、こちらが大事と思ってることは
なるだけこちらが思うように伝わる努力をしたいものです


その努力すること、たとえば、報告ということの準備をする
そういうことにつながるわけですが、ちょっとだけ工夫しよう
ちょっとだけ、相手の立場を想像してみよう、そういうことを
するだけで、ずいぶん伝わり方というのがちがうものです


準備をする時間だって有限だし、自分の体力だって有限です
だから、ちょっとずつでも、工夫するってほんとに大事です


オリンピックをみていると、この競技のために
この数分のために、この人はどれだけの努力を重ねてきたのだろうと
ほんとに、すごいなと思うことがありますね
そうしたすごさに、いいなと思うのなら、ちょっとでも
その情熱には近づきたい
同じ、人間です
努力するということに、価値があると感じるなら
彼らのやってる、その姿にあやかり、自分の生き方というのも
ちょっと「まし」になるようにしたい、ですね