自分のやってることを、客観的にみるようにすること
これは、少なくとも人と関わって、仕事するときの欲しい態度だと
いえると思います
ただ、客観的という態度が行き過ぎれば、自分のやりたいと
思ってるそのことが、ぶれてしまうということが起こると
感じます
コスパの追求。買う立場からすると、安いのはありがたい
作る立場を思うと、必要なコストはかけるという立場
つまり値段はあがるということ
コストを下げるという、スタートから考えていろいろ工夫する
そういうこと大事だと思う
だけど、コストをさげて、品質もさげていいのかということが
いつも、でてくることだと思います
こうしたとき、客観的にみて、品質は高く、コストは低くといった
態度で臨めば、打つ手というのはせばまってしまうともいえるでしょう
ある立場、ある視点というのは動かさない
そういうことが、なにかを進めるときには、必要な決め方
といっていいと思います
いろんなことが、必要なのが、生きるということにおいて
普通にあるといっていいと思ったほうがいいです
世の中は複雑かつ、生きもので変化するからですね
そういうとき、「変えないもの」「変えるもの」は
なにか、つかんでおくということも大事です
人と人が信じあう
そういうことが大事とずっと思ってきました
そして、変わるのが世の中といっても、人と人の信頼は
変えない、変わらないとどこかで思っています。
ですが・・・
このところ、その考え?大丈夫と思うこと
信頼の、ひとつの大きな、構成要素といっていい
人と人の距離感がいい感じでわかること、こういうことが
自分(昭和30年代生まれ)と、平成生まれの人は大きくちがう
ということがありそう、と、感じています
世の中が変わる
もちろん、変わるのは止められないし、変わったほうがいいことある
だけど、その判断をする、大本といっていい、信頼という
概念自体が変わってしまってないか?
さらには、最近読んだ、「何回説明しても伝わらないはなぜ起こるか」
今井むつみ 著作によれば、人間は(自分の都合のいいように)自分の
記憶を書き換えるということが、あるといいます
何を信じたらいいのでしょうね
自分の記憶も書き換わるのが前提と思っていたほうがいいといいます
一日、一日を大事にする
その書き換わることが起こる、日々のいろいろを、大事な場面は
これが大事だね、信頼に近いなにかがあったら、こういうことから
信頼につながるんだよ、そう伝え合う、教えあう
人間の生きること自体の、感覚についてメンテナンス
するということが、大事だと頭に浮かびます
さて、できるのでしょうか
いいえ、選択の余地がない、とも思えますね