風神雷神

俵屋宗達が、尾形光琳が描いた主題
後に琳派と呼ばれる人が、ずっと描いていて、このことを
描く人は琳派といっても、つながりそうとも思う


日本人は、海だったり岩、山、といった自然と神を
いったいとしてきたといっていい。だったら風も雷も
神とみていい、とつなげてしまうのは、安易でしょうか


昨日ツィッターに、雷が鳴って、風神雷神を思い出すと書いたら
はじめてみる人が昔の人も恐怖を紛らわせるため、疑神化を試みた
みたいなコメントがはいっていて、面白かったです


琳派に共通するといっていいかもしれないですが
どこか、ユーモラス、フレンドリィといっていい、表情なりが
あるということ
これ、江戸時代という時代背景もあるかもしれないですけど
ここが、面白い
徳川政権を否定して、なりたった、明治以来のいろいろに、ひっぱられて
いますが、実際江戸時代の特に文化といったことは、もっと
見直したいと思うこのごろです


明治以来のものに、ひっぱられる
教科書がまさにそうですね。幕末の黒船来航
これに、対して、駄目な外交をした、徳川政権と教科書では
なっていますが、見直した目でみた(NHKの番組ですが)ときの
徳川政権は、外国との交渉をするのならアメリカだと
選んで、狙い定めて、アメリカを呼び、いろいろしたたかな
交渉もした、と、みることができました


さて、江戸時代の文化
今年お札が新しくなりましたね。新しい1000円札の図柄のひとつが
神奈川沖浪裏なのですね。それを記念して北斎美術館では
北斎が、あの動物の手にも見える波を描くようになった
経緯を中心の展示がなされていました


北斎というのは、「天才絵師」といったイメージがあります
そうなのですが、今みても新しい、斬新ともいえる、波の表現は
北斎でも、いいえ北斎だからでしょうか、「積み重ね」のいろいろが
そこまでの表現をできるようにした、とあります
具体的には、ヒントになる絵に影響されたりが、あっての、表現の
ステップアップといったことを、北斎美術館の人は言いたいようです


「天才」というと「努力」ということと、かけ離れてるという
感覚がどうもでてしまいます


実際、天才といっても、努力があってのことといっても
いいのかもしれません
高校時代に聞いたこと。長嶋茂雄王貞治といった、当時のスターと
いっていい、野球選手。天才といっていいと思っていましたが
「努力することにおいて天才」とのことでした
このことは、実際、王、長嶋の活躍をみていた、自分たちに大きな
はげみとなりました


話はもどって、風神雷神
出光美術館、今年いっぱいで休館とのこと
そのまえのコレクション展でみた、酒井抱一風神雷神
解説にすっきりと描いてると、あります
それにしても、存在感。すぐ近くに伊藤若冲のエキセントリックな
絵もあったのですが、存在感で劣らない


ある面シンプルに描くというのは、酒井抱一のスタイルといって
いいのでしょう。ですが、先に書いたユーモラスな
であり、神としてみる、一定の高貴さというのは、しっかりある
のでしょう
酒井抱一がいいなと思えました