気づくこと

自分のやってることに、気づくということ
自分のやってること、その意味、価値に気づくということ


なかなか、自分自身のことを、理解するってことは
難しいと思います
だから、たとえばスポーツ、ライバルが大事なんてことが
あります
ライバルと自分を比較しながら、負けたくないという気持ちが
でたりする
これは実際はライバルとの闘いというより、自分との闘いなんだと
気づくことがあります


東山魁夷が、残照という絵を描いて
自分は風景画家として、生きていくということを
思う、気づくという場面が、「風景との対話」にでてきます
その残照を描いたという場所に行ってみました


自分の存在そのものをどう位置付けて
どう生きるのか


この命題について、東山魁夷は、きっと若い日々悩み続けたのだと
思います
そんななかで、残照を描き、自分の気持ちを方向づけた


残照は、その場所の山々をそのまま描いたのではなく
一部は信州の山並みをつなげてるという分析があります


まだ学生だった東山魁夷が数人で、木曽の山々をキャンプして
歩いたということ。その旅行が画家としての自分を作っていくのに
大事なものになったという、趣旨の文章を東山が残していますが
まさに、残照を描くときに、役立ってるというのは、ひとつの象徴的な
ことだろうと想像します


気づくこと
自分が大切にしてることに気づくこと
自分がやろうと続けてる事の意味に気づくこと


あることを決める、方向づけるということは
別の角度からみると、方向づけた以外のことを、(いったんは)捨てる
ということにもつながります


人間は体力気力、ともに限界があります
その日、その時間に集中してなにをやるのか?というとき
全部やるというのは、ある面全部やらないということと近いのだと
気づきます


生きるということは決めるということと、つながってるといっていい
決めるということは、捨てるということにつながっているのです


決められない、捨てられないというのが、人間の気持ちのある部分に
あるのを認めながら、やっぱり決めるということがないと
前に進まない、前に進まなければ、いろんなことが滞ります


東山魁夷は風景画家として、生きました
その軌跡は、輝いてるといっていいのでしょう
生き方を決めるということ、大事だなと思います
それには、いい気づきが欲しいなと、思います