合いの手

話をしていて
絶妙なタイミングではいる合いの手というのは
話をどんどんひきだす、最高の調味料だといえるだろう


知り合いの女性は、もう80歳をいくつか超えたが
人が話しをしてるときの合いの手は、ほんとうにうまい


タイミング


濃淡


うれしいときは、ほんとにうれしそうに顔をほころばせ


悲しい、苦しい話は、いっしょに苦しい表情をしている


話し手はついつい、自分がもともと話そうと思ってなかった
ところまで、話をしてしまう


以前、このブログでも書いたように
「頭の中身を外にだすことはキくらしい」ということ
南伸坊河合隼雄の対話形式の本を紹介しながら
書いているが、合いの手ということにひとつ
会話をしていくこと、そして、頭の中身を外にだすことは
キーワードとして集約していくといっていいかもしれない


河合先生が、相手のことに無条件に関心をもっていくこと
自己一致、そして共感といっている
絶妙な合いの手がいれられるひとというのは
その3つを無意識か意識的か、しているということ
なんだと思う
もっとも、そのことを、ずっといつでもできる人というのは
もう、普通の人というのを超えた存在ということにも
なると感じている
だから、程度の違いはあるにせよ
やっぱり、いつもずっと、というわけには
いかないのだろうと思うけど


あらためて、合いの手ということの大事なこと
また相手に対する効果というかキキメといっていいか
感じる出来事でした