家族の話

昨日、はじめて会った、若い人
自分の父親が好きだし、父親の仕事してる
姿にあこがれ、自分もそんなふうに、仕事できたら
いいなと思ったと、語ってくれました


この話は、とても素敵に聞こえます
家族を好きだというのは、ちょっと「家族自慢」?
みたいに、聞くと、あれれ、ともなるのですが
素直に、自分の家族が好きと言えるということは
その人の、豊かな育った環境だったり、そのなかで
まっすぐに、考えられるその人自身が育まれたのだと
想像すると、素敵な空気が見えてきます


ひとつには、人間関係というものは、やっぱり
ごく親しい人を、ひとつの基準に考えるということが
安心じゃないか、と、見えるということがあろうかと
思うのです


ティーンズともなれば、自分なりの世界があって、
自分が選びそして、選ばれた友達との時間ということが
大事になります。そのとき、やっぱり家族ということが
いいモデルとして存在すると、いい友人関係が育てられる
とも思います


昨日あった、その20代だという人と話していて
ついつい、その空気の居心地の良さということに
時間を忘れ、自分の経験だったり、自社で起こって
自分が感じたことなど、話してみて、その話が
肯定的に受け取ってくれてるなという、雰囲気があって
それがまた、うれしく、昨日は一日、かなりいい気分で
過ごしました


ここ3,4年でとても、大事に思うこと
それは、人間関係が、「尊敬」ではじまる、ということです
昨日の方とは、お互い尊敬というのは、ちょっとまだ安易
かもしれませんが、次回とかあったときに、なにかしら
話し合うといったことで、同意しやすいとか、そういう
もとができたと、感じます


この尊敬ではじまるということ、実際、そうしたほうがいいね
ということが、いっぱいあるわけですね。
そのほうが、つながりやすい、ということが第一にあるでしょう
それから、「期待」をもって、なにかしていくということが
できやすいなんてこともありますね


出会いというのは、それがつながっていって、期待になり
その期待にお互いがこたえることで、絆といっていい、
信じたいなにかに、育っていくというのが、本当に素晴らしい
ことと、思っています


ビジネスをしていて、いいなということは
出会いがあること。といっていいと、感じることが
あります


ビジネスはつながりを作るところから
はじまるといっていいですね
どうしたら、つながりができて、それをお互い信じられる
ようにしていくのか?
人それぞれのやり方があっていいでしょう
そして、私の場合は、出会いをいかに、ていねいに
いろいろ、思って行動するのか
ここにかかってると、思っています

憂い顔の美

マネのフォリー=ベルジェールのバー
この作品をみて、前後して
鏑木清方の三部作をみる、機会があり
まずは、女性の美しさにうっとり、という感じですかね


これらを見る、また1年ほどまえ、ドガのピアノの前のカミュ夫人
という絵に、いいなと思って、立ち止まったことも
思い出します


マネは、裸婦像を、そのまま生きた人間として
描いたということで、センセーションを巻き起こした人
そういう意味では、女性の美を描くならもちろん
一糸まとわぬ姿を描くということの、その良さというか
やりたいと思ったら、やる人でしょう


フォリー=ベルジェールのバーは晩年の作だと
聞きました
マネの、描きたい女性の美しさは、パリを愛した
マネだから、都会の、女性のその生きてる姿そのもの
どことなく、「憂い」がある、表情の女性という
ことかなと思います


この「憂い」という点で、↑に書いた
鏑木清方、特に三部作でいえば、新富町
カミュ夫人、についても、あるんですね
私にしたら、憂い顔の、競演ともみえる、様子です
どうも、憂い顔が美しいというのは、美人の条件と
いってもいいのではないでしょうか
そして、おそらくは、マネもドガも、鏑木清方
その憂い顔した、女性を、女性の持つ美を
愛したといっていいのではないでしょうか?


マネの女性、鏑木の新富町の女性
二人とも、都会で、「働く」女性ですね
それゆえ、でしょうか
働くというのは、やっぱり、楽しいときばかりではない
だいたい、働くそのポジションでいることで
しなければならない、こと、責任がありますね
それも、基本、毎日です
そういう、自分への鼓舞だったり、ときには
やっぱり、疲れみたいなものもあっての、この表情
なのかなと、思います


男性が女性のどんなところに、ひかれるのか
天真爛漫な笑顔もいいかもしれないけど
なにかに、一本、ぴりっとしたものをもった
仕事かもしれない、自分自身へのなにか、生き方に
つながることかもしれない
そうした、思いを、表現したといっていいかも
しれません


都会が、憂い顔、となると、ルノアール
都会のダンス、田舎のダンスが思い出されます
この都会のダンスの女性の美しいこと。また
やっぱり、都会だから?憂い顔です


男性は、女性に惹かれて、なにかするのだと
そういう、ところ、とてもそうだと思いますし
画家なんて、自分が描きたいものを描くのだという
ことでいえば、女性の美を、テーマにするのは
まったく、自然なことでしょうね


そして、その美の象徴たる人が、憂い顔でいる
これまた、ずいぶん、ぜいたくともいえる
また、ずいぶん、凝ったともいえる
瞬間を切り取ったのだと、そういうことに

なるでしょうか

違いをポジティブにとらえる

会議の最初であり、たとえば、1日かけてやる
研修などとなれば、必ずやりたいのが、アイスブレイク
です


アイスブレイク、氷をこわす、お互いのそれまでの
なにかしらをやってきた、そうした、ちがう方向みていた
人の気持ち、気合といったことを、そろえるために
たとえば、ちょっと一工夫した、自己紹介だったり
自分の身の回りのエピソードを話してみる、簡単な
ゲームをしてみるなど、そういう時間を設けます


そういうなかで、共通点さがしというのが、結構
気に入ってる、アイスブレイクのひとつです


この逆、自分と他人の違いといったこを、フォーカスし
そこを、学びのひとつの切り口にするということが
とても、いい、切り口なんだと、思っています


いまやりたいことは、共通のインプット、本だったり
映像だったり、はたまた現場からの報告というのも
いいかもしれません。そうしたインプットに対して
なにを、感じて、どういう対処だったり、どういう
今後への、指針などを、思うかということ。これを
話し合ってみるということですね


ちがう人間だから、当然ちがう、意見、考え、コメントが
でます。そのちがいがなぜなのか、丁寧にみていく
ことで、相手の視点のいいところ、自分の、同いいところ
逆に拙いところ、みつめます


「背景」ということがありますね
言葉には、背景があって、その言葉のニュアンス、本人が
使いたい意味というのが、くっきりするのです


先日行った、新入社員研修にて、「コミュニケーション」を
例にだしました。Aさんは、コミュニケーションとは
複数、グループで行う、あーでもないこーでもない、これは
どうかといった、わいわいとした、やりとりを思い浮かべると
します。一方、Bさんは、1:1,心にジーンと響くものがある
そのことが、コミュニケーションととらえてるとします
という言い方をして、コミュニケーションという言葉が
かなりの範囲の、ニュアンスをもつといった例を言いました


言葉に、それぞれ、背景がある
そして、ストーリィには、必ず主観がはいるものです


共通のインプットをして、お互いのちがいがみえた
うえで、さらに、お互いの理解を深めたいと思い
今後、こうして、意見交換を続けていきたいと思う
それが、「あるべき姿」なのだと、思います
実際のところ、ディスカッションをして、そのちがうゆえに
お互いの信頼が増す、そういう状態が、そこらじゅうである
それが健全な、いい信頼関係がある、グループ、集団だと
思うからです


共通のインプットからの意見交換、ディスカッションが
その次も生むという↑の話は、おそらくは、現在進行形で
自分を高めてる、そしてチームの価値を高めてる
そういうことが、前提になるのだと、思うのです
だから、未来につながっていく。だから、明るい今後の
展望といったことも、信じられる

なりたい自分

「私が芸術について語るなら」 千住博


この本のなかで、千住さんは、五感で感じる
ということを、大切にしなさいと、書きます

なにかが、したいな。千住さんは画家ですね
画家になりたい、と思って、そう行動したとして
将来画家になりたいと、お父さん、お母さんに
打ち明けだとしましょう。反対するかもしれませんね


以下、引用です


お母さんやお父さんが反対する。それを説得するのは
すべてのはじまり。だいたい親に芸術の魅力を伝えて
やりたいという気持ちを説得できないで、どうやって
作品を通してまったくの他人を美の力で説得する
芸術の仕事ができるのでしょう。・・・


千住さんは画家になりました
なりたい自分をみつけて、それに向かって走ってるわけです


「なりたい自分」


ずっと、会社をやっていて、社員の人に自己実現して
ほしいと思ってきました
ごく最近、ネタ本があるのですが、自己実現するというのは
なりたい自分を持つということから、という言葉に
たどりつき、なりたい自分をもつのが、大事だと思っていました


そのタイミングで、この千住博さんの、本(10代の方向けと
思います)にたどりつきました


ハワイで、鹿をみて、その荘厳さ、威厳に満ちた姿をみて
その荘厳さ、威厳といったことを、表すのに、もしかしたら
「滝」がそうなるかもしれないといって、連作につながってる
話。


なりたい自分をもつということは、生きていくうえで、必要かつ
なんて、素敵で、なんて厳しいことだと、思うのです


人間は楽をしたい、という気持ちがあります
もちろん、自分にもあります。だけど、楽もしたいけど
それに増して、これはやりたいということを持つ
それが、生きることそのものだと思います


ときどき、若い人と話す機会があると
つい、おせっかいな、気持ちが起きて、なぜその仕事を
いましてるのですか?なんて、聞いてみたりします
その言葉が、すんなりと、やりたいことをみつけたんだという
話だと拍手して、楽しくなります
悩みながら、もがいていると、思えば、アドバイスなんて
おこがましいですが、自分の体験を少し話したりします


去年読んだ本に、若いたとえば、20代、30代の人が
将来こうなりたい、とすんなり、言うのには、いまの
世の中の状況、進歩であり、いろんなことが、陳腐化する
速さは、あまりにも、厳しくみえて、安易に将来のこと
言えるのは、しんどいじゃないか、と書かれていて
はたと、気が付く思いがしました


これ、裏返すと、私が十代を過ごした、1970年代、1980年代前半なんて
ときは、みんなほんとに、将来、明るいと単純に信じられる
なにか、とてもいい条件がそろっていて
それは、どちらかといえば、そのときが、特殊だったのかも
しれないと、思いいたったのです


悩むこと。若いときにあれこれ、迷うこと
いいじゃないですか。そんなことを、まず正面に
おいて、あーでもない、こーでもない、こうかな
なんて、話をしませんか?

抽象と具象 その2

「具体⇔抽象」トレーニング 細谷 功


このなかで、細谷氏は、抽象ばかりだと、机上の空論に
なってしまうと、解説します


はい、私たちも、ときどき、「教科書的な話・・・」
といって、あるべき論を展開したりします
「あるべき姿は忘れない」これが、いっとき私のであり
当社のキーワードになっていました。なぜかというと
社員のうち90%が、プロジェクトで、課題追ってるという
構成だとすると、現場でどうあるべきかが、まず、メインの
話題だったりするのです


現場で、どうする?
スキルの足らない、メンバーの遅れをどうする?
顧客との認識のずれが、でてる、どうする?
もともと引いたスケジュールを狂わす、びっくりが
でた、どうする?


こうしたとき、
「なぜ、最初から、スキルのあるメンバーをいれないんだ」
「認識のずれが、起こらないトレーニングはどうした?」
「想定外のことを、もともとのスケジュールにいれてないのは
なぜだ」


などと、教科書的な話をしていても、現場の遅れはどんどん
遅れるばかりなのですね


ただ、こうして、現場のいまの課題は、というほうに
目を奪われていると、実際、「もぐらたたき」的な対処を
するということになることは、確かです


だから、遠回りでも、人材育成に力をいれて
そもそも、というところのずれだったり、問題をかかえて
スタートということが、少ない、ようになにかするという
ことが、「王道」といっていいかなとも、思います


細谷功氏といえば、「地頭力を鍛える」が記憶に残っています
実際、フィルミ推定なども、ひとつの、抽象的に考える手法と
いっていいかもしれません


抽象と具象をいったりきたりする
このことは、ものごとを、深めたり、広げたりする
という、やり方に通じるとも、言えそうです


ディスカッションをしていて、深めたり、広げたりということが
ものごとを多面的にみるときに、有効なことは論を待ちません


例えば、「リーダーの在り方」ということをディスカッション
するとします。Aさんは、なるだけ、メンバーのやりたいことを
ひきだすことに、注力したほうがうまくいく、と説きます
Bさんは、トップダウンの指示が多くを決める、ゆえ
メンバーのあれこれを引き出すのはそのあとで、トップダウン
なにを指示する、またできるか?こうしたことをトレーニン
するのだと、言います


ご存じの方は多いでしょうけど、これ、つまりは、チームの状態
そして、なにをやろうとしているのか、その緊急性
また協力者はどれだけ、得られるのかなどなどにやり、変わりますし
言い換えれば、両方正解とも、両方不正解とも言えそうです


深めるなら、Aさん、Bさんの、それぞれのやり方を深堀する
広めるなら、前提条件を変えてみる
でしょうかね


さて、抽象と具象、私のなかで、しばらくキーワードになりそうです

抽象と具象

「コンセプチュアル思考」 好川哲人
このなかで、好川氏は、コンセプチュアル思考とは
抽象と具象、これをいったりきたりすること、と
説明します


はたして、抽象と具象、いったりきたりする


少し、拡大解釈ですが、ひとつの作品、小説になったり
映画になったりということが、あろうと思います


最近、映画と原作、両方みて、読んだということでいうと
高橋一生川口春奈主演の「九月の恋と出会うまで」が
あります
実際、映画をみてから、原作を読みました


実写の映画ですから、たとえば、主人公が住んでるアパートが
リアルにでてきて、そこで、すれ違う主人公、そのときの
表情、もちろん、顔、スタイル、声のトーン、映画なら
目に飛び込んできて、これが、この作品なんだと
受け止めます


はたして、原作だと、どうなるか。もちろん、今回自分は
映画をみてしまっているので、自分のなかにある映像は
消し去ってみるなんてできないのですが、できるだけ
想像力をたくましくしてみました


そういうなか、不思議な、ことの起こるアパート、その
オーナーである、画家のまたもつ、雰囲気はこんなか?
当然ながら、主人公の二人、出会う時はこんな感じ
声はこうかな?また出会い直すときの、表情は?と
想像するのです


クライマックスといっていい、告白する場面で、きっと
彼は彼女はこうなのだと、勝手に、実際、映像を
自分で描いていました。ただ、顔は、高橋と、川口の
ままだったけど。


いま、書いたことは、抽象と具象をいったりきたりとは
だいぶ、ずれはしてしまいますが、でも、一部はそういうことが
あるとも、言えると思います
一部、それは、自分自身が想像力をもって、(勝手に)作り上げる
部分があるということです


昨日、近しい人と話していて、抽象的なことを、言う、ときに
会社なら、社員に指示するということ、なにが「メリット」
なのかという話になり、話した相手がいった、回答は
指示された人が、楽しくなり、達成感もあるという可能性が
増えるということですねと、言いました


原作を読んで、このシーンはこんなふうだと、想像するのは
確かに楽しいですね。映画は製作の都合だったり、その映画の
スタッフの思い、があって、原作と変える場合もあります
そういう意味で、映像化するなら、自分ならこうだなと
思ったりする。そして、それが〇〇ならという仮定の話ではなく
実際やるとなれば、達成感ともいえるかもしれません


なにかの企画を考えるとき、どうしたら、うまくいくか
どうしたら、参加した人がより楽しめるのか?
そういうことを、思いますね
抽象的なこと、から、考えだして、シュミレーションする
というのは、関連する人の楽しさと、つなげてみるということが
大事な要素、とも言えそうです


「楽しさ」というのは、とても大事だなと思います
楽しいから、またやってみようという、気持ちが膨らみます
楽しいから、ちょっと面倒ななにかもやって、楽しさを
増やそうという気持ちにも、なれると思います


さて、今日は金曜日。週末はどんな楽しいことしましょうか?

コミュニケーション

メンタルヘルスセミナーに参加して、とても
勉強になったことを、ときどき、思い出します
特に、よかったなというのが、「事例」をだして
そのときの様子などを、情報として、与えてくれる
ということです


管理職が、メンタルでへこむという事例がありました
非常にまじめで、職務を遂行することに、いろいろやってる
管理職です、上位者からも期待されてる。そこで
いろいろと、仕事がふえます。うまくまわらないチームの
てこ入れ、そもそもの、会社の今後を左右する課題について
意見を求められ、対処することを、求められる


実際のところ、ひとりの人間ができること、それは
限られています。そういう前提をまわりも、自分ももって
どう取り組むかといった、合意が大事とも思います
そうでないと、ひとりで、責任をかかえこんで、結局は
うまくいかないし、その中心となった人は、責任感で
おぼれてしまうのではないでしょうか?


さて、事例。その管理職は、悩みだします
ときには、お酒でも飲んで、のらりくらりとやる
くらいがいいのですが、まじめゆえに、なかなかそれも
できないとくる


はたして、この事例をみて、「対処」を自分がその人の
上位者だったら?とシュミレーションするという感覚で
話しました
やっぱり、コミュニケーションだなと思うのです
自分だったら、その人の抱えてるものを、いっしょに思うことが
できそうだと、そのときは思いました(簡単ではないのは
それなりに想像したのですが、それでも安易かな)


コミュニケーションは、ある面では、すべての処方箋と
いっていいと、私は感じています


「マネージャの仕事はたったひとつ」 高木晴夫
この高木氏のいうところの、マネジメントのしかた
ひとつ、だされてるのが、Managing by walking around
つまり、ちょこちょこ、歩き回って、マネジメントしなさい
ということです


歩き回って、そして、私なりの拡大解釈をするとすれば
そこで、なにかを抱え込んでる人だったり、なにか、あれれと
なってる人と、話して、できればその人なりの気持ちを
共有するということでしょうね


ほんとに、いい感じで共有、つまり、共感といったことを
含めて、気持ちを汲んでいけば、きっと大きな問題に
なるまえに、少なくとも自分であり、自分のまわりの誰かと
対処のなにかを手をうつということはできそうです


もっとも、問題が大きく深い場合、思いつきの「対処」では
どうにもならないことも多いのもありますけどね


私の、マネジメントの解釈では、マネージャなるもの
実際担当者と、意思決定する人と、つなぐということが
大きな役割ともみえてきます
そうなると、Managing by walking around これは大きな意味を
もつはずです
いいかれば、コミュニケーション能力は、マネージャの最大の
もつべき能力だとも、言えそうです


いろんなことに、前提をどう置くのかということが
ここのところ、すごく気になります
上記に書いた、なにか課題を抱えた、現場だったり、担当者だったり。
ひとつには、意思決定する層の気づき、そしてときには
予算執行のあれこれ、くらいで、なにかしらの手が打てて
現場が好転するようなときには、かなり有効なのでしょう
ところが、実際、リアルな現場の問題って、もっと根が深かったりも
あるから、やっかいではあるのですが。


生きていれば、いろんなことが起こるし、はたして
いま自分たちが仕事のうえで、なにかをする、アクションをして
どうするという、ターゲットとして、どうなのかと
振り返り、かつときには、大局的に考えていかないと
ほんとに、仕事はうまくいかないってことが、ありそうですよね。