小説とSNS

最近読んだ小説のなかで、インスタでフォロワーとなっていた
そういう、接点があったという人と人が、偶然(に見える)
出会いがあり、仲良くなり、あるときインスタでつながっていた
ということをみつけて、もっともっと仲良くなれた、そういう
ストーリィをみつけました


数年前、本のタイトルとかは忘れてしまったのですが
ある朗読会、にでかけました。そのなかで披露されていたのが
主人公、と、その親友、また主人公と、その親友と同じ女性を
愛した青春時代があったという設定でした。その親友は若くして
亡くなり、その墓参りで、かつて愛した女性に偶然会う
という流れでした


この朗読会のあと、思ったのは、SNSの時代はこうした、宝物と
いっていい、偶然の再会という機会をなくすほうに存在する
そういう、ことがあって、残念ともいえるなということでした


ツィッターで、いつも、なにかしてることを、知ってる
なんてグループがあるといいます
これなんか、「ひとりになる」という貴重な、タイミングをなくしてる
とも言えて、どうなのかと思います


ごく最近、若い社員から聞いた話。休日はディスコードで友人とずっと
しゃべります・・・これなんかも、ひとりになるということを
せっかくのそうした時間をなくしてるといえないでしょうかね


ひとりであること、ひとりの時間を楽しめる
そういうことがあって、親しい人と過ごす時間も充実する
そういうことがあるように思うのは、私だけではないように
思います


SNSは、交流のありかたはもちろん、こうした、時間の感覚
ひとりでいるということの、感覚を変えてるということがありそうです
また、冒頭のように、出会いということの在り方、といったらいいか
バリエーションを増やしてるということもあるかもしれません


SNSは、自分としては、利用できるものは利用してしまえ
といった、関わり方なのですね
でも、やっぱりどこまでもSNSはありえなくて、仲良くなり、また
なにかしら、実際のなにかということを、やるなら、アナログですが
やっぱりリアルにあって、感覚として、どうなのかということを
知って、進めるが自分はほしいと思っています


SNSはきっかけ、ですね


ただ、こうしてオンラインの世界がどんどんひろがっていると
きっかけだけでない、なにかということにも、つながりそう
ということも、ありそうです
実際、軽い取引であれば、オンラインと電話で、確認して
進めてるもちょっとはあります


小説は、今を切り取ってる
そんな感覚もあって、特にコロナがあったりして、このごろは
ごく最近出版されたものを、見たいと思っています
小説こそ、アナログなメディアといえるかもしれないですが
やっぱりプロ、人の心の動きの描写は、うまいし参考になりますね