おかあさん

尊敬する、河合隼雄先生の「カウンセリングを語る」という本に
日本人は、母ということを大事にしてる
日本においての、母という存在はとても大きいと説明してる


たとえば、日本であれば、なにか意見の対立とかあったときに
男同士でも、理屈と理屈で勝負というようなことでなくて
最後は、飲んだりして、ま、お前とおれの仲じゃないかなどといい
もとにあった対立のポイントは、そのまま、なんとなく解決
してしまうなんて、よくあることと思うのだが
それは、お前とおれの・・・なんてところは、いわばいってみれば
もう兄弟でしょみたいな、同じ人から生まれた兄弟と準じるような
といういいかたで、まあまあとやる
これって、日本的のようだ


例えば、仲のいい高校のときの仲間が、もう中学生や高校生のおかあさんを
してるのをみたりすると
その仲間は、もちろんそのまま、仲のいい友達の部分ももっているのだが
その存在は、「おかあさん」だなぁと思ったりすることが
ここ数年なんどもある
子供を育てることって、それだけ大きいことなんだろうと思う
子供という存在が、自分をおかあさんに位置づけることを求めるのでしょう


私に姉がいるが、姉の最近の言動をみると
とても、安定していて、強いことに気がつく
生活するということについて、自信とその大切さについての認識が
子供がいない生活している私とはレベルがちがうと
何度も思った
おかあさんという存在になる過程において
自分を強く安定させるということをしてきたのでしょう


社員を採用しようというときに、ときどきこの方はどんな親御さんに
育ててもらったのかと、思うときがある
やはり、親御さんとそれなりにいい関係を持ってこれた人は
これからも、人と関わるときに、一定のバランスのとれた
コミュニケーションをとりやすいのではないかと感じるのだ