人間教育

入社まえの、会社説明会において
あなたは、人間が好きですか、コンピュータが好きですか
という質問をしたりします
両方好き、と答えたら、さあ、あなた、もう合格です!なんて
つぶやいてみる


人間が好きですか、コンピュータが好きですか
こういうふうに、ならべられると、なにかどちらかを
選んだりしなくてはならないような、気分になる
正解というか、もっていてほしい気持ちは両方好きってこと


昨日、ごく最近知り合った人と話していて
長澤は、人間教育をしていくということを、言っているが
それは、実際企業の人では、めずらしいという話をしてくれた
そして、それに応えて、人間教育をしたいと思ってるのは
いわば、危機感のあらわれなんですよ
という話をしました


たとえば、マニュアルの扱い
実際のところ、いまの20代の人に接したりすると
平均的な話でしょうが、マニュアルの扱いって、実際
ぼくらの世代よりうまい人が多いと感じたりする
これは、いいほうの話ではある
それと、ウラハラに、マニュアルにのってないこととなると
とたんにできないという感じがある


つまり、路線がひかれてない、臨機応変といった対応に
まったくといっていいほど、歯が立たないってところを
何度かみて、ありゃありゃ、と思った


私は、ついつい、高いところの理想を追うようになってるのかも
しれない。それは一定のところ、認めるとして
人と、いろんな交渉をしながら、ある程度ふところを深くもって
ものごとをすすめていくということに、もう少し力を注いて
生きてみたらどうか、と思うのです


河合隼雄先生の、カウンセリングを語るに
(この本は、もう出されて、30年はたったと思いますが)
大学生なのに、たとえば、礼儀正しく、ふるまうことが
できないことなどが、例としてでてきます
教官の部屋にノックもせずにはいってきて、書類にハンコを
おしてもらうのに、いきなり、書類をつきだし、「これ」なんて
いう対応をする人がいることを、例にだしています
大学生ですから、決して頭が悪いとかではない、いってみれば
人間として、しつけそこなってることがあるという指摘が
あります


こうした話から、ひもとくと、例えば電話でなにか
やりとりしていても、まったく相手が話を咀嚼していないなとか
本来、人と人が相対するなら、こういうことはするのでは
という、基本といっていいことを、無視してるように「見える」
人が、どんどん増えてきてるように思います


危機感
そうなのです。なにかそうした、人間教育といったことを
はじめないと、日本社会がというか、世の中がどんどん悪くなって
しまう、もちろんシステマーズも困ることになるという
危機感があります
また、そうしたことを、意識して、一定のところ社員が
気を付けるようになることで、他社との差別化もできるのでは
という思いもあります


危機感
まえにこのブログで書いた、若い人は、いわば「退化してる」ように
見えるということ。実際、自分だって本当に高い人格を供えているのか
そうした、人間教育なんて、奥までできるのかなんてことになると
実際、できるとしても、入り口のところでしょう、というつもりはある
でも、やっていかなければ、自分として悔いを残すことになると
感じています


ステマーズは、まず社員のみんなが、はいってよかったと
思うこと、もちろん、おもねるのではなく、長期的に必要なことは
毅然と指導していく姿勢を鮮明にしようと思います