好きになること

なぜ、絵を好きになれたのでしょう
かみさんと結婚し、絵を見に行くのが
楽しみだといいます
じゃあ、つきあいましょうと、美術館に通うように
なります


そして、いきなり、絵を見るのを楽しめるように
なった、わけではないのです


2001年だったと思います
四国の金毘羅様で、御開帳があり
170年ぶりに、円山応挙伊藤若冲の絵が
観られるというのですね
かみさんが、どうしても行きたいと言って
でかけました


季節の花の絵を、伊藤若冲は丹念に描きます
丹念なのはわかりますが、確か50を数えるその
絵を、細部にわたって、みていく、かみさんの姿に
驚きもし、待ちくたびれもしました


なぜ、そこまで、絵に惹かれるのか
もちろん、絵を描くかみさんは、その描かれた絵の
描き方、描いたときの苦労などが、わかる
ということもあるのでしょう


絵をみるということに、ひとつ気持ちの持ちようが
わかったこと、そのタイミングがきます
州之内徹 「気まぐれ美術館」です
州之内は言います。絵の賛辞として、最高なことは
その絵を手元に置きたい、と思うことだと


少し、芸術論からは離れてしまうかもしれません
でも、絵への最高の褒め言葉として、自分の手元に置きたい
そういう絵をみればいい、そうでない絵は、感じなくても
別にいい


この1点で自由になってから
自分なりの、楽しみ方をみつけることができたのです


好きになること
その行為を自分で楽しめるようになること


私の場合は、どうも自分のもってるなにかと
つながるということにあるようです


たとえば、「人」そのもの
人にたいへん、興味があります
だから、人となり、その人が生きた、人そのものの魅力
ということと、つながると、絵も楽しいのです


そして、その画家が愛した風景。
風景も、自分が実際行ってみるという
旅の楽しみとつながると、楽しいのです


本に描かれた、絵に描かれた場所に行ってみる
というのは、永井路子の「あかねさす」で
実践することで、覚えたことです


絵は、人生そのものといっていいでしょう
だから、楽しい、だからみてしまう


州之内徹がそうのように、自分の生きたそのままと
つながれば、なおのこと、惹かれるのだと思います