昨日の続きで
「具体的になにをするか」
語り合いたいと思う
照れとか
警戒心
一方的なイメージの思い込み
そんなじゃまなものを一切とりはらって
はだかの心で語り合う
そういうことができる
時間、相手、状態がいたり作れたりというのは
大変貴重なことだ
でも、いつかも似てる話の展開にて
いいそえたけど
はだかの自分で向き合うと
「けがをする危険度」
つまり傷ついたり傷つけたりという
危険度は増しますね
けれど、怖がらずに語り合うことが
必要だと思う
植物には水が必要なように
人の成長には、人といい刺激を与えあうことが
必要と感じます