昨日の日経新聞の夕刊
「和の力」にもっと光を
という題にて、俳人長谷川櫂氏が
書いている

ここでの内容の要旨は
起源をたどれば、純粋に日本の風土でできあがった文化は
ないといいきり
外来の文化を喜んで迎え、それまでの自分たちの生活にあうように
作り変える。出自や考え方の異なるもの同士を調和させ同居させようと
してきた営みのこと
それを和としてとらえるという


ここで、つい先日2009年7月にこのブログでも何度かふれている
桃山時代に起源をさかのぼる
茶の文化
やきものの文化からでた
わび、さびを象徴とする日本独自の美の視点
美の基準の話が私の頭に広がる


冒頭で述べた、高名な俳人の視点はよくあるといえばよくある
日本の文化のとらえかたではある
私が、わざわざ、わびさびなどとだしていて
まるで真っ向からそれに対抗するように異を唱えると
見えたかもしれないが
真っ向からではない


少し、別のスポットのあてかたといったらいいか
実際、わびさびが日本におこった美の革命
日本ならではの独自の視点という指摘を読んで
快哉をさけびたくなるほど、うれしかったのは
ある面、ずっと日本は、純粋には日本独自のものはあまりなく
などと、思っていた面が私にあるからだといえる


茶をたしなむ、その時間、空間を文化としてしまう
それが、日本らしさといえるとしたら
そのなかで、わびさびなどということがやはり文化の一面と
いえるとしたら
まさに、いいかえれば、時間、空間をいろんな出自のもので
調和させて、そのコーディネートしたものを日本文化と
呼んでるともいえる


やきものでいえば、やはり多様性を認める、日本のみかた
多様なものがあって、わびさびもまたよしとするという心の
余裕があるのがまたいいのではないか?