僧侶

今日もウォーキングをした
行き先は、曹洞宗大本山総持寺
総持寺という本山は、いってみれば大学のようなものらしい
若い僧侶がたくさんいる


僧侶という存在は、精神面での鍛錬を怠らないということが
大事と聞く
いわゆる「悟り」を求めて、修行をするらしい
曹洞宗でいれば、座禅ということが中心だろうか
前に読んだ本に、宗教家が独身が多いのは「気が散る」からだ
と書かれていた。それがそのとおりなら、宗教家は
自分の精神面での鍛錬のために、結婚せずにいるという
ことか
こうして、書いてしまうとずいぶん俗な感じで
まるで、居酒屋で井戸端会議的な意見のようになってしまって
少し、悲しい


精神面での鍛錬、これは高い視点であえていえば
人生そのものでしょう
そのことを大事にする生き方ができるのなら
僧侶というのは、すごい存在です
大好きな、マンガ、「エースを狙え」にでてくる
コーチは、曹洞宗のもうひとつの大本山永平寺にこもるという
ストーリィがある
まわりのキャラクターが、「え、あの戒律の厳しい寺ですか?」
ととても驚く
実際のところ、永平寺がどんな厳しい修行をするのか
ほとんど知らないのだが
想像するに、僧侶というのが精神面での鍛錬を
自分のなかでまんなかにおいて、生きていくとしたら
とても、きびしいだろう
とても、高いだろうと想像する


ウォーキングをして、総持寺にある、木々がすっとしていて
よく手入れされた境内を歩いていると、背筋が伸びる感じがする
その空気の澄んだ感じは、やはり鍛錬している僧侶のかたが
掃除なりしてるからなのかと
ふっと思ったりする
少しだけでも、そうした空気を自分のなかにいれて
自分の精神面での甘さの克服に役立てたいものです