アートの話

今週、学生のときから知ってる人と飲んで
少しアートの話をした
私は、つれあいがずっとアートが好きで、最初はつきあい
美術館にいっていて、そのうち本来的に楽しめなくても
例えば、見たあとに感想というか話ができるくらいには
楽しみたいと思い出した


そんな頃、手に取った本、つまりあまり美術とか絵画の知識とかが
なくても読めそうだと思って選んだ本がある。それがこのブログでも
何度か書いている、洲之内徹の「気まぐれ美術館」だ
「この絵、どうしても手元においておきたい」と心から強く思う
このこと以上に強い賞賛のしかたがあるか
そんな平易なというか、少なくとも高名なアーディストは誰でどんな
作風かなんてことが、前提で書かれてる美術に関する本より
よほど、心に響いた


今年になって、大原富枝という生前から洲之内を知ってる人が
書いた、洲之内の人物像を伝える「彼もまた神の愛でし子か」を
読んだ。女性の視点で、洲之内の女性遍歴を書き、そしておそらく
絵と出合って、生きてる美しいものである女性から、絵という
美しいものへ、意識を集中することで、救われたというような
くだりがある
女性を求めて、どんなに貧しくても、妻子がいても、別の女性と
愛憎をくりかえす。そんな生き方を女性が語るのは、少し鬼気せまる
感じがして、男性の私としては、少し背筋が寒くなるのだが・・・


そうした、洲之内の生き方のアートに向かったところをすくいとって
思いをはせていると、洲之内コレクションももう一度(ずいぶんまえに
一度はみたのだが)見たくなるし、自分の絵へのひかれかたも
洲之内が指し示してくれたような、好きになりかたでいいんだって
気がしてくる


どうも、アートの作品自体よりも、その思いをこめた人、もちろん作家の
生き方とかそのときの人間模様に気持ちがいくくせがある
荻原碌山の「女」はそうしたことを思うとき、必ずおもうイメージとして
頭から離れない。そして、高田博厚も、イサムノグチにしても・・・