ストーリィ

傾聴ボランティアというのがあるという
ひとつ聞いたのは、例えば末期ガンで死を宣告された
人に、ひたすら、「傾聴」することでその人から
どう生きてきて、自分の人生とはこんなだったということを
語ってもらい、当該のかたが、自分の生きた人生を
とうとうと、ひとつのストーリィにしていく
そうした過程で、自分という存在が
一定の役割をしていたんだという実感が生まれて
やがて、死を迎えるということをやすらかな気持ちで
受け入れるという
そうしたお手伝いを、傾聴ボランティアはするという


そうした話にヒントをもらって、また斉藤茂太さんの「楽しいことを
メモするとどんどん人生がよくなる」などというエッセイに
力をもらって、自分のストーリィを残したいなと
思うようになってる


例えば、いわゆる、自我のめざめというのか、そう思春期をむかえる
まえの自分のまわりには、子供がいた、仲間がいたなと感じる
家を一歩でれば、誰かが遊んでることが多かった
三角ベース、おにごっこ、かんけり。はたまた空手のまねごととか
自転車のとおっぱを走ったりした
そうしたところに「社会」があった
つまり、とりしきってる、いわば「隊長」とでもいったらいいか
ガキ大将がいて、副将もいた。いっぴきおおかみのにいちゃんも
いた。いろんなことで、ほんとに自分勝手なことをすれば
当然、袋叩きにされた。
一番最初の、人に反応するとか、いい意味での愛嬌が大事だということは
小学生くらいに覚えたのではないか


小学生くらいは、十分すぎるほど、なまいきながきんちょだったから
なまいきに生きるということはそれなりに、しんどいことも
そのころから覚えた


また日をあらためてかくけれど、例えば高校時代の
輝くことも、輝かないことも、大学はとか、二十代の
社会人なりたての、とかそれぞれ、ストーリィが
あるけれど、一番最初の人間関係は、この思春期前の
ガキのころにあったと最近、思う