3月

春というと、ワクワクする
そして、ちょっぴりほろにがい思い出も


春休みというのは、ちょっと特別な響きがある
卒業、入学に伴い慣れ親しんだクラスの仲間と
別れるから
卒業、入学がなくても、クラス替えがあれば
やっぱり、慣れた環境からかわることになる


学校が大好きだった。決して勉強が好きだったなんて
思えないけど、学校が好き、クラスのみんながすきだった
真剣にこちらの人生に向き合ってくれる、先生がいた
子供って、実際こちらに向き合ってるのかどうかって
とっても敏感なんだと思う。真剣に思いをもって
接してくれる人はよく覚えてもいるし、ありがたい存在だった


このまえの、研修にてブレインストーミングをした
ブレインストーミングのルールは、相手のいったことを
否定しないということだ。このことっていろんな場面で
実はとっても大事なんだって思う
さきほどの、「向き合ってくれる、先生や仲間」は
おそらく、自分のことを否定はしてない
ま、実際のところ、否定する場合というかそういう人も
いたかもしれないけど、ここでいう「向き合ってくれる」
という定義のもとの人には、いないのだ


このことが、いかに「話しやすく」なるかということは
容易に想像できる。まず、あなたを認めてますよという
態度があることで、安心する。安心するからまたもっと
話してみようかなと思う
そういった、繰り返し


3月、卒業等でいつもいっしょという状態から、「友達で
いよう」とお互い、別れを惜しんで、いまにいたる人に
思いをはせる
十代という、ピュアな自分、そして相手と過ごしたとっても
敏感かつ日々、成長して、気づきのあるときを、共有した人は
まさに、一生の友達
春になると思い出す
ユーミンの「最後の春休み」のメロディーにのせて