友情が深まること

仲間のあつまりのなかで、青山二郎小林秀雄にからんでゆく。
「オイ、小林、お前の文章はダメだぞ。いつもこういう席で
喋ってることとは違う。お前は酒を飲むといきり立って、
たとえばゴッホを見た喜びを語るだろ。その方が書くものより
ずっと面白い。生きてるんだ。文章となるとそうは行かん」
こんな調子で続く青山の言葉にはじめのうちは小林秀雄
「おとなくしく受け答えしているが、いつもの勢いの良さはない
それというのも、あまりにほんとうのことだから、返す言葉もなく
小林さんは黙ってしまう」


               大人の友情 河合隼雄 より


友情は素晴らしいけど、高いところにありすぎると
苦しいかもしれない
上記のことで、白洲正子はこの二人の友情を
「友情が高級であっただけ最後には決裂せざるを得なくなった」
と評してる


おかげさまで、私にも、なんの利害もなく誘って酒が飲める
友達が何人かいる。そして会うたびにもっと深く
語りたいななどと、思いながら、酒にいろんな話を
のせて、わいわいやって終わる
実際のところ「深まる話」なんて、そんなに望まなくても
いいのかもしれない。ときにアルコールは精神をとぎすまさせ
ときに麻痺させる。「いわなくてもいい、ひとことをいってしまった」
そういう、後悔をしたことがある人は少なくないと思う


友情は深めたい
でもじっくりでいい
いってみれば、ああ、こいつとはじっくり仲良くなって
いけるのだと、信じあうことができる。それが
ほんとに仲のいい証かもしれない


生きていくうえで、ほしいもの
友人だろう
そして、「さりげない」存在感をいつも
感じることができる、そんな贅沢、たびたび
私には、あるようです
あー、ありがたい