苦しみと楽しみ

尊敬してる河合隼雄先生の著作のなかに
家族は苦楽しい:くるたのしい
とでてくる
楽しいばかりではなく、苦しいことも伴う


家族というのは、自然に家族になるのではなくて
努力して、家族になっていくのだということと
いいかえることもできるかもしれない


もう少しいいかたをひろげると、コミュニティは
苦楽しいということもあるか
人を育てるということを考えるときに
順調に育って行って、いい感じのイメージを
もつことがとっても大事であるけど
そこは、競争社会にいる私たち、甘いことを
いって、育つことはなかなか難しい
やはり、苦しいこと、本人には苦い薬も処方して
ハードルを越えるということが必要になる


日本では、若い世代を育てるというときに
どんどん、甘くなっていってしまってるように
感じてならない
家族で、学校において、たとえばあいさつをしたりという
本当に基本の、人と人がどうしたら、気持ちよくいっしょに
いられるのかということを教えてもらえない
河合先生は、いまの親は、テストでいい点をとりなさい
ということばかりにかまけて、人と人がいっしょに
いるときになにが大切かという基本を教えることを
していないと指摘する


このブログにもかいた、灰谷健次郎の天の瞳の一節
年長者の大事なひとことを覚えておくこと、そのことが
記憶するという大事な能力を神からさずかった意味なのだと
教えてる
そのことで、素晴らしい人生を生き抜いたひとりの人の生き方を
肉体はほろんでも、あとを引き継ぐ人が伝えていける
いわば、生き方を生かしておけるという
そうした、生きる知恵といったものが、家族のなかで
伝承されて、はじめて生きるということに、心棒がはいると
いうのではないか


大事なことは、なんなのか、目を見開いて、一日一日大事に生きること
すなわち、そのこと自体価値があるでしょう