後輩をしかるのは

後輩をしかるということ
先輩であれば、しなくてはいけないでしょう
でも、なかなか、「しかり方」ってどうしようって
ことあるのではないでしょうか


大学のときにクラブの活動でのひとこま
「いい先輩になるには、いい後輩であることの数倍難しい」
なるほど、・・・いいこというな


つい先日、最近ネット上で再会した、なつかしい友達が
お店をやっていて、そこで働いている若い店員さん
をしかるということを書いていた
どちらかというと、ミスをした相手に怒るということに
ついて、自分のいわばキャパシティが少ないから怒ってしまう
というようなニュアンスがあった(私はそう受け取った)
オンラインでの返事に
いいえ、怒るということを気にしてるのは
自分のことを反省するくせがあるからで、そのこと自体
いいなと思うと書いた


後輩とか自分の指示によって、動いてもらう人を
しかるのって、やっぱり難しいとは思う
まず、思うのは自分がしかられて、よかったという
経験を思う
二十代のころ、ひよっこだったくせに鼻っ柱は強かった私
いいと思ってやったことが、ぜんぜんダメということが
あって、反発もして、しかられもした
でも、しかられることって、必要ということがある
会社も文化を持ってる。その文化を理解しないと
やはり本人も息苦しいだろうし、まして会社というか
チームで考えたとき、文化からはみだすという人は
なにかと、うまくない
文化を理解するということは、ある意味信じてることを変えるとか
調整してあわせるということが必要かなと思う


仕事って、おそらく先輩から後輩へ
あと引き継ぐ人へ、代々伝わってきた集積ということも
ある
だから、後を引き継ぐ人は、教わったことをより高めて
また後輩に引き継ぐ義務がある。そうしたことを含めて
いろいろやって、「仕事」といえる
そうした、「誇り」をもって、しかるというか
後輩に教えることができる、人になりたい
そうですよね?