都会っ子と田舎者

このブログで
「生きる力」をどうやって得るかなどと
書いていて
たとえば、スローフードだとか
いかに、自分をみつめるか
アルプ力はが大事かなんてでてくる


http://d.hatena.ne.jp/tetsuya556/20111101/1320099278

http://d.hatena.ne.jp/tetsuya556/20090908/1252360082


実は今日のブログを書くのに
都会っ子と田舎者というタイトルと
要旨が頭に浮かんだ時
ちょっとぎくっとしたのだ
私は、生きる力を得られる、それに
近い生き方である、田舎での暮らし
田舎者の生き方を称賛するような文章を書きたいと
思ったのだけど
それは、ほんのごく最近、自分でいいなと思えたことなのでは
ないか?


つまり、いままでは、いいえいまでもそれなりの部分
田舎者と言われたり思われたりすることをきらい、
なかば、恐れて、都会のしゃれた存在でいたいと
思っていた、もしくは思ってるのではないか?


大学時代、クラブでやった英語劇、ニールサイモンの
「グッバイガール」というのをやってる
ニールサイモンのセリフのテンポのいいやりとりの妙が
感じられるところで

Sharp! A sharp newyork girl! right?


No no,a dull Cincinnati kid.


というやりとりがあったのを思い出した
まちがいなく、19歳のころの私は
田舎者でなく、都会っ子たる自分であることを
望んでいたし、自分はそうだと思い込んでいた


まあ、実際聞こえてくる言葉のニュアンスが
田舎者:あかぬけない、世間知らずの
都会っ子:情報をもってる、生き方がかっこいい
みないなものがはいってるのは、あると思う


それでも、私がこのところ感じるのは
いいえ、「自分を見つめる」という観点から
いったら、田舎者のほうがいいではないかと
感じ始めてるし
事実、自分は田舎者だよなと、自覚もある
「情報をもってる」とか「生き方がかっこいい」とか
という観点は、どうも、人と比較して、自分は優位に
いたいというところからでてるというにおいがある


「生き方」「生きる力」を思うとき
人と比較してどうか
ということでなく、あくまで自分はどうしたいのか
自分の感じる力、自分のエネルギーをえること
そして、自分の心を平静に保つにはどうするのか
ということが、大事だと、ようやく思えてきた
というところだろうか