回想

生きていたら
前向きにいようというのは
ぜひ、そうしたい基本的な思い
この3年くらい、「回想」ということは
後ろ向きとはいえない、とてもプラスの要素のはいった
いい行為だ。前向きな要素があると
感じてきた


中学生のときの、抑制のない
無鉄砲で、人を思いやる心が
幼く、もちろん表現するなんてとても
下手でというときの、初恋といっていい感情
それでも、人を好きになるということの
苦しさと同時に、良さを少し味わっていた
まあ、まさに好きな女の子の消しゴムかくしちゃう的な
ことばかりしていた


高校生は、「なぜ生きるのか」などと真剣に?
考えた。ほんとうに真剣なら、きっといまも
袋小路にはいったように、霧の中のはずかもしれない
高校時代は、明るかった?というか少し単純
担任の先生に、「生きてるから、生きる
生きていれば、素晴らしいことにも会えるんだ」
という言葉に、ふっと頭をあげた


ビジネスの世界に飛び込んで
お客様の前でのふるまいとか、成果あげたときの
喜びを感じた
そして、またまた浅はかにも、担当としての喜びは
もう味わったぞなんて思った


忘れられない人と、お酒を飲んだ
その人といっしょにいることが、とても楽しかった
経営とは、顧客を捕まえるには、社員を育てるときの
思い。いっぱい話した
おそらく、私の目に見えていたのは、自分の人生ばかりで
その忘れられない人の人生について、思いやる心の余裕は
少なかった


そして、いま思うのは、テニスでうまい人が、初心者に
教えるときに、まえに自分も世話になったから、こうして
別の人だけど、恩を返すのだという言葉のとおり
恩を受けたその人には、返せないのだが、別の形で
人材を育て、また人が大切な経験ができるような場面を
作って、大きく羽ばたけるように、後押しをしよう
そうして、大きな意味で、恩返しをしよう