今日の等伯がいい

日経新聞に掲載中の、「等伯」by 安部龍太郎
一番、かわいい、息子の久蔵が旅にでた

いわく
表現者は孤独である。誰とも違う、誰にも真似のできない境地を
目指して、たったひとりで求道の道を歩き続けなければならない


本当は心配で心配で、居ても立ってもいられないほどである
この切所がどれほど辛いか、身をもってわかってる。
下手をすれば、命までとられかねないだけに、どこへなりとも
駆けつけて手を差し伸べてやりたかった。


しかしそれをすれば、久蔵の成長の芽をつむだけなのだから
冷たいといわれようが、薄情といわれようが、じっと耐えて
待つしかないのだった」


安部の歴史を語る切り口が、いいか悪いか、例えば司馬遼太郎とか
永井路子に比べたら、どうなのか、ここでは書かない
家族を語る、その筆のさえは、なかなか小気味いいと
思っている
よく人の成長を思うときに
植物に例えて話がでる。大好きな河合隼雄先生はいう
植物に対して、早く育てとばかり、そのでてきた芽をひっぱってるって
人がいますか?
そんな人はいない。じっと待って伸びてくるのを楽しみにしてるしかない


等伯では、絵の世界だが
例えば、ビジネスでも、おそらく「人生」でも
誰の真似もできない、自分の生き方をさがすということでは
どうしても、自分で乗り越えなければならないという段階がある
まず、乗り越えようという「覚悟」をもつということが
最初だろうか


人間の限界は、自分の脳が決めるという言葉がここでも
私の頭のなかでまわる
誰の真似でもない、生き方ができるか?
その誇り高き、生き方。じゃあ自分はそんな覚悟を
したのか?


このごろ思うのは、自分こそ、「サシの」人と人との
関係を大事にしてるのかって考える
一期一会という言葉の、厳しさを思う
そして、「失敗しながら生きる」っていう言葉を
いわば、甘いいいとこどりをして、思っていないか!


等伯の生き方が小説を通して、こちらに近づいてくる
家族への思うとあいまって、生きるということへの
フォーカスをしばし、楽しみにしてる