彼岸

昨日は、墓参りの日
幸い、風も弱くよく晴れて、気持ちよかった


若いときは、なにも感じず、なにも考えず
お墓のしたにおまえのひいおじいさんやおばあさんが
はいってるんだよなんていわれて、へぇくらいだった
そして、自分といっしょに暮らした祖母であり
たまに行くと、かわいがってくれた曽祖父など
虹を渡って、墓の前にいけば、どうしても
生前のことを思い出すようになって、墓参りは
ぐんと意味が変わった


ひとつには、いま現在生きてる、墓の下の人と縁でつながってる
人と昔語りをする機会で、お互いの無事を確かめ、また
今後元気でお互いやろうと、励ましあうという
大事な時間になるからだ


元気がなにより
一昨日は、学生のときから、親しくしていて
家族ぐるみでお付き合いをする人とお酒を飲んだ
至福の時間。顔を見ればわかりあえるという感じがする
もっとも、ちがう人間だから、わかりあえるというのは
実は錯覚だったりもするのだけど、わかりあえる感じがする
というのがうれしいし、大事だ


一昨日も思ったのは、元気がなによりだ
少し体が心配なところをそれぞれ、持ったりする
そういうときは、やはり思うのは、元気なことは
みんな努力してそうなってるんだなーという感じ


虹を渡った人たちは、時間がたってもいくつか話をしてくれたり
したことは、鮮明に覚えていて、なにかしらこちらの思いを
受け取ってくれたりするような感じがする
もちろん、それは自己暗示のようなものかもしれない
そうしたものでも、自分が考えて考えて、なかなか答えがでないような
ことについて、なにかしらアシストしてもらえるように
思うのは、悪くない


数日前の「等伯」。自分独自の境地を目指して
苦しんだ息子の久蔵さん。母親のことを思っているうちに
素直な、描きたいと思うイメージがでたと説明するときがある
超自然現象が起きて、亡くなった人と会話したというより
大事なことを話してくれた人のことを思い出すことで
自分のなかの、いいものがほとばしりでたということに
なるのではないでしょうか?


墓参り。大事なことを思い出して
これからの生きる、ヒントにできる。そんな時間に
なれば、すごくいいことですね