生きるということ

東山魁夷が、京都、円山公園の枝垂桜と月を描いている
自身のエッセイで、枝垂桜が満開なことと
満月が重なることという、とても貴重な時間を京都にて
過ごせたと、非常に幸運に恵まれたと書いている


満月のタイミングと花の盛り。もちろんその日に天気も
あわせて、絶妙なタイミングで見るということは
かなり確率は低そうだ
そう感じたら、実は何年もかかってそのタイミングで
見に行っていくのではないかという感じがした


まえにテレビで、ある夕暮れの風景を描いてる画家が
おそらくは、10回いいえ、何十回もその場所に足を運んで
微妙な夕暮れの色を確かめて、絵を描いてるということを
紹介していた。私のつれあいは、絵を描くことがすなわち
生きることになっているからできるということを教えてくれた


今年も、安曇野に田植えの季節に出向いて、池田の丘から
有明山をはじめとする北アルプスと、安曇野のタベストリーの
ような風景を見てみたい
山下大五郎が、確か自分の絵の境地を広げた感覚を
感じてみたい


何度か、画家が感じた美しさを、追って自分もその感動の
少しおすそわけをしてほしいなと思って、同じ風景を見に行くのが
楽しくなっている
もちろん、画家が絵を描くまえから、その風景はあったし
もしかして感受性が強い人は、そんな絵を見なくても、その美しさに
感動することはできるのかもしれない


それでも、実際、画家がいわばナビゲーターのようになって
美しい風景はこんなところにあるよと、示してくれるのは
ありがたいし、おそらく気づけない平凡な感覚の私には
そうやってナビしてもらえることで、そのままではないにせよ
その美しさに気付けることは、自分の感覚を少し磨けた感じが
して、うれしい


人間は、できなかったことができるようになるってとっても
うれしい感じがある
人間の脳の力ってとっても潜在能力が残っているように
何度も感じる。だから、磨きたい。そうすることで
楽しめることが増える


今は、桜の季節。その旬を味わいたい
東山魁夷の導きに乗れるだろうか