技術をどう身に着けるか

技術力をつけること、それは血反吐をはきながらするものです
そうした、言葉に「そうだね」というつもりはない
いいえ、「大変」なのはそうなのだと
思うのです。ただ血反吐をはくということが
誰でもができないことを、やってるというなにか「陶酔」してる
ように見えるのです


技術をつけるということは、いいかえれば、生きる術をつけると
いっていいでしょう。それは本当に大変です
スポーツ選手が試合にでないと、うまくならない
営業マンも、実際お客様とやりとりをしないと、成長しない
技術者は、客に納品するものを作ってみないと、ものにならない


そうした大変なことを、確かに「自分で」「やり方をみつけて」
「心にきざむ」という行為は必要だと認めます
ただし、人によってそうしたことを自分で気付いてやるという
道筋はいろいろあっていい
ある人は、ひとりで集中して気持ちを高めて、その気づきに向かう
ある人は、大事な仲間とのやりとりで、気づきに近づく
はたまた、別の人は、人を愛するということを通じて、
また別の人は、私の知らない、気づきをする


技術者のすること、営業マンのすること、もちろん管理者、実務担当者
いろいろ、仕事ができるようになるってことは大変なのだけど
誰も行きつくことができなかった境地を目指すわけではないと
思っている
誰もできなかったことをするのは、芸術家にまかせておけばいいと
思う
実務をするのは、もっとちがうと思う
ただ、自分のなかに、「気づき」がある状態かどうかということは
こだわっていたい


社内で「学びあう姿勢」があることという話を何度かしている
それは、いっしょに仕事することで、自分になかったアイディアに
気づき、いっしょに仕事したことが自分の気持ち、自分自身を
変えるということに気付いていくことを知ってほしいからだ
負うた子に教えられということがある
そうしたことができる人が、気づきをもってる人だ
日本人の得意な、チームを大事にできるということだ