会社の存在意義

前に、親しくしてる学生のときからのおつきあいの
かたに、私は経営者だけど、おそらく自分のやってる会社は
うかうかしていたら、他社にとってかわられてしまうポジションにいて
どきどきだというような話をしたら
その方から、世界のどこに、そのポジションをとってかわられてしまうという
状態でない、会社があるというかといわれ
トヨタしかり、SONYしかりではないかと話をしてくれたのを
思い出す


↑の話は、おそらくまだ私が社長になって、わりとすぐの10年ほど
まえの話だと思う。そういう意味では、バブル崩壊以降、銀行が合併し
上場会社といえども、つぶれたりしているなか
トヨタSONYは、なにか特別に優良銘柄か?とまだ見えていたと
感じる
ところが、この2,3年の動きをみたらどうだろう
トヨタSONYもかつてのような、ブランドの輝きはずいぶん
色あせたといえるのではないか


トヨタは、新興国の安い車を作るメーカーにおいあげられ
SONYお家芸といっていい、ウォークマンの分野をアップルに
丘部を奪われたといっていい
グローバル化、競争の激しさという話がいつもでる
そうしたなか、本当の意味で価値とはなにかを問われてると
いってもいいかもしれない


このブログで、わが社がどうしたら「特徴」「他社との差別化」が
できるのかという話題になるとき、今年も何度か
「いい話し合いができること」「会議で活性化してること」という
ことを書いてみた
すごく大事なことにはちがいない
ただ、例えば、人間が生きていくのに食事が大事で
その食事の内容が、野菜がふんだんにはいっていて、タンパク質、カルシウムなど
栄養素がバランスがいいというような、話になってるのかもしれない


いい食事をすること自体が大事だというポイントもあっていい
でも、食事がよければすべていいというのも、ちょっと短絡ではないか
いいたいのは、食事がよければほかはどうでもいいということでなく
食事がいい状態をキープできるということは
いい食材をみつけるということにも心がいくような、余裕があり
食事を作るということにも工夫ができて、とかそういうふうに
展開を考えれば、そこそこいい状態が想像できる


人間が生きていくには、食事のみならず、知的なところでの追及も
身体的に満足があるようなこと、そして家族をはじめ、つながる人と
愛し合う状態を作らないと、バランスがとれてるとはいえない


それでは、会社はというと、話し合いがうまいのは、絶対ほしいとして
知的、つまり会社のできることとして、機能、役割が増えて高度化していって
いるかという点
身体的という部分は、財務でしょう
つながる人と、いい状態でということは、社外、社内ともに健全に
関係が広く深くなっていくこと
対顧客ということもそうだと思うし、採用や社員の育成という点で
ということもいえる


このように書いていると、だんだん会社がなにをすべきかということが
イメージできてくる
そして、膨大なその道筋をどこから歩むのかということで
ふんどししめて、かからなければとまた思う