親子のような関係

河合隼雄の「カウンセリングを語る」に
父親をほしがってる人
息子をほしがってる人という話がある


はじめて読んだときは、ある面特殊な生い立ち
環境の人なんだなと思っていた
ここのところ、ときと場合によって、そうしたことは
そこらじゅうであるのだなあと感じ始めてる


先代社長、増地氏と私は、親と子のような関係で
それは、やはり息子のようい、いろんなことを
教えていきたかった、増地氏
メンターのような、自分をぶつけられる人をほしがっていた
若い日の自分という二人が、作った時間、空間があったと
思い出す


今回の旅にて
昭和のはじめくらいに
柳宗悦が、バーナード・リーチ
若い陶芸家とか、紙漉き職人を指導、支援するという足跡に
いっぱい出会っている
それは、どうも年齢からするとやはり、親と子に近いものが
あるようだ
例えば、40代と10代、50代と20代とか
それなりの年齢差があるから、伝わりやすいものということが
ありそうだ


そうして思い出すのは伊勢神宮の20年ごとの遷宮のことだ
前に聞いた話だけど、技術の伝承ということを思うとき
20年ごとにやるということが、とても意味があるということだった
例えば20代とかで覚えた技術を、20年後に再現して今度は
教える側に回る
このことは、まさに「仕事」という長年教えて伝わってきた
ということの、伝え方のおおもとみたいな感じにも、気持ちが
向く話だ


今回訪ねた、陶芸家の一人はいう
あるものを見たとき、そのもの自体が大事ということではない
かもしれない。そのものを見てどう感じるか、感じてることが
大事だと


むむむ、これはまるでわが社で、これから仕事を高めようという
社員とあってるときに、私が何度も感じてること
そのままではないか
何が起こってるか、その事象そのものが重要ではなく
そこから何を感じ、何を学ぶかだ


目の前に、いいなーと思う器があって、作ったその人の言葉と
思うと、とても心に響くものがある
どう感じるか
感じる心が大事
うれしくなる、一致だった