山陰で思ったこと

山陰にこの夏旅して、思ったのは
いくつかの、窯元がいいなということ
いいなというのは、もちろん、その器がいいということが
一番なんだけど、窯元という手仕事、とっても
アナログな世界の仕事が生きてる、生き残ってるのが
いいなと思った


このことは、日本の文化がいいな、文化を認めて育てるところが
あるのがいいなと続く
つまり、大量生産で安く陶器が手に入るいま、その数倍、ときに数十倍の
値段の器を買い続ける人がいるという状態がいいなと
思うのだ


丹波篠山の陶器市にいって、その熱気とあふれるような人に圧倒された
いいものを、見たい、自分で使いたいという人がいるんだなと
思った
思ってみれば、「心をこめて作ったもの」が数千円とかで手に入るというのは
いまの世の中少ないのかもしれない


何年かまえに、日経のコラムにて、日本は百人一首があることがいい。文化が高いと
いえる証といっていいという文章を見た。百人一首に載ってるうたがすばらしい
そして、選び出された百人一首を、数百年にわたり、伝え続けていて
いまなお、人々に愛されてるということが素晴らしいとでてきた
なるほど、文化としてあるということは、こういうありかたをいったり
するのだと、思った


陶器について、洗練された器たちを作り続けるということを、何世代にも
わたってしてきてる。その洗練度は、おそらく世界中どこをさがしても
一番のレベルにあることは、まちがいないと思う
そして、そうした「使う器」を支持しつづける人の存在
それが、産業として成り立たせてる


会社を経営していて、「品質」で他社と勝負したいという気持ちが
ある自分には、「心をこめて作ったもの」が人の心をうつということが
とても、うれしい。そしてそれは通じるものだと、思えることが
希望の光だ


先日日本橋で展覧会を見に行った、山本氏はいう
ただ、見るのではなく、手元において、使ってみることで
その良さを自分が何倍もうけとれるのだと
そう聞いて、それなりに高いと思って買った器も
どんどん使おうという気持ちがわいた
確かに、その器は、人間の人間らしいところ
自分が自分らしいところを、聞いてくれてるようで
うれしい


手に持って、口に食べ物をもっていって、そのとき感じる
感触がここちいい。その心地よさを覚えていくことで
自分がしたいことがまた見える気がする


山陰の人がもってる、その人間らしさ、人間の生きるということに
ひとつピンとはりつめた、厳しさをもった大きさを思う
そして、なにかあこがれをもって、そのことを何度か
思い出してる